「パインサラダ」
MSデッキに警報が鳴り響く。
メカニックマン達が慌しく動き回る中、1機の戦闘機がランディングギアを下ろしながら彼らの目の前にゆっくりと着艦した。
薄い緑と濃緑で塗り分けられたその戦闘機はそのまま牽引され、デッキの傍らに引き込まれていく。
すぐに多数のメカニックマンが取り付き、簡単な機体チェックを始めた。
不意に機体の腹側のハッチが開く。
中から黄色いノーマルスーツを着た兵士が姿を現し、ハッチに近付いてきたメカニックマンに声を掛ける。
「アストナージ! かんっぺきだよ!!」
発せられたハスキーボイスは女性のもの。
その声を発した黄色いノーマルスーツの兵がメカニックマンに抱きつく。
抱き付かれたメカニックマンはその女性を抱きとめながら、コクピットハッチに手を掛けて反動を堪える。
「中尉……みんな見てますって……!?」
「構うもんか!! リ・ガズィをここまで治してくれたんだからさ!!」
そう言うと女性―――ケーラ・スゥ―――は再びメカニックマン―――アストナージ・メドッソ―――に抱きつく。
今度こそ反動で身体が機体から離れてしまった。
ケーラともつれながら機体から離れていくアストナージの瞳に、緑色の戦闘機、BWSを装着したリ・ガズィの姿が映りこむ。
(そうだな……よくここまで出来たもんだよ……)
この世界で。
宇宙世紀(U.C)0093。
シャア・アズナブル率いるネオ・ジオンのアクシズ落としを阻止する為に戦闘を開始した連邦軍の外郭部隊ロンド・ベル。
その最終フェーズでケーラとアストナージは死んだはずだった。
だが何の因果か、それともそこは死後の世界なのか、2人は大破したリ・ガズィと共にこの世界に現れたのだ。
それは彼らの知る世界と非常に似通っているがまったく違う世界。
コズミック・イラ(C.E)という年号が使われている世界だった。
そしてこのC.Eという世界は、宇宙(ソラ)に住む遺伝子調整されたコーディネイターと遺伝子に手を加えられていないナチュラルが反目し合う、嘗ての地球連邦とスペースノイドの関係に似た状況にあった。
実際少し前に大きな戦争があり、双方共に大きな人的損失を出していると言う。
今は停戦状態にあり表面上は穏やかな時が流れているように見受けられるが、それはかりそめの姿に過ぎないのでは、と2人は感じ取っていた。
別に特別な能力があった訳ではない。
彼らの居た世界が正にその様な状況だったから、そう思えただけだ。
彼らが今リ・ガズィと共にいるのは、数々の偶然の積み重ねである。
現在の彼らは地球連合の1部隊に所属していた。
この世界に放り込まれた2人は、地球連合の一角を担っていたユーラシア連邦軍に偶然保護された。
そしてリ・ガズィの解析と彼らの尋問を行っていく中で、リ・ガズィに既存の技術が殆ど使用されていない事が解り、興味を持った軍や技術者達の口聞きで、
アルテミスで行われていたものとは別にリ・ガズィをベースにしたMS製造の為の専門部隊を立ち上げる事になったのである。
その中で中心人物としてそのMSに通じている2人が組み込まれたのだが、彼らは予想以上の苦しみを味わった。
図面などの情報は一応リ・ガズィに記録されていたのだが、必要な材料・技術が揃わなかったのだ。
間接部のマグネットコーティングを始め、リニアシートや全天視界モニター、E−CAPや細かいところではアームレイカーなどのシステム。
そして一番のネックはルナ・チタニウムが存在しなかった事である。
装甲材やムーバブル・フレームの素材となるガンダリウム合金を造る為にはルナ・チタニウムが必要だ。
その名の通り月であれば採掘できそうではあったが、残念ながら月面は中立都市と、ユーラシアと同じ地球連合である大西洋連邦が抑えている。
地球連合と言っても一枚岩ではない。
互いの勢力争いという内部対立もあったため、月面での試験採掘すら行えない状態である。
結局、代替材選定に殆どの時間を費やす事となってしまった。
当初大西洋連邦やプラントが持っていたPS装甲を利用する事も考えられたが、その特性から出る機械的トラブル発生率の高さや余りにも嵩んでしまう重量がネックとなり、
最終的には現状で最も負荷のかかるフレームのみPS素材を使用し、大部分をチタン・セラミック複合材等の代替材で賄う事になる。
その代替材にしてもこれまで製造された事のないものであった事から、満足のいく製造・加工レベルに達するまで一年近くの時間を掛けてしまった。
ただ、PS素材を使用する上で最大の障害である電力供給に関しては、リ・ガズィのジェネレーターがほぼ無傷だった為心配する必要が無かった。その為フレームにPS素材を採用するといった思い切った事ができたのだ。
なおPS素材の入手に関しては、ザフトの内通者やジャンク屋ギルドなどの非正規ルートを利用している。
それら数々の障害を乗越え、1年以上の時をかけて今彼らの前に完成したリ・ガズィが現れた。
C.EとU.Cの技術が入り混じったキマイラ。
だがそれは紛れも無くリ・ガズィだった。
ロールアウトしたリ・ガズィのテストは、地球と月の間にある所謂デブリベルトで行われていた。
そしてそのテスト中に、アストナージとケーラが危惧していた事態が発生する。
ユニウス7の落下に伴う地上の混乱と、地球連合によるプラントへの宣戦布告である。
既にハイペリオンの開発に成功し大西洋連邦のダガーシリーズの供給を受けていたが、独自のMS開発を諦めていなかったユーラシア連邦は現状で最もMS運用に適した竣工したばかりの貴重なアガムメノン級を、
完全な秘匿部隊として創設されたリ・ガズィテスト運用特務部隊『ケンタウロス』の母艦として隠密裏に配備していた。
そのアガムメノン級宇宙母艦『ケイロン』は、ザフトの哨戒網を掻い潜りながら宇宙での拠点になっているアルテミス要塞へと向かっている。
既に連合による先制核攻撃はザフトによって防がれ、プラントのデュランダル議長は積極的自衛権の行使を謳い地球への限定攻勢を行っていた。
初戦で大きな損害を受けた地球連合は、その宇宙戦力の大半を月のアルザッヘル基地やダイダロス基地に引き返させ積極防御を行っている段階だ。
最初の一撃で戦争を終わらせようとした目論見が崩れ去り、ユニウス7の落下で起きた世界的な災害の復興に大半の戦力を振り向ける必要があったため、こちらから攻め込む余裕が無くなっていたのも大きかった。
ザフトの地上拠点であるカーペンタリアとジブラルタルに攻め込む予定だった大部隊も一旦撤収してしまったため、現在は局地的な小競り合い程度の低劣度戦争の様相を呈している。
そしてそれは、いつ戦闘に巻き込まれても可笑しくないという状況でもあった。
ケイロンもそれは同じである。
「だから、飛ばさなきゃ判んないだろ!?」
「駄目だって!! いつザフトと鉢合わせするかわからないんですよ!?」
リ・ガズィの傍らでアストナージとケーラが口論していた。
突然の戦争突入によって迂闊にテスト飛行が出来なくなってしまったことが原因だ。現在、当初予定の半分もテスト項目を消化していない。
早く仕上げたい一身のケーラと、まだ完全に仕上がっていないリ・ガズィを今の状況で放り出したくない、何よりケーラを危険な目にあわせたく無いと言う感情がアストナージにあった為、互いに言い合う事になってしまったのである。
「上等じゃないか! アストナージが作ったリ・ガズィの力を見せられるさ!!」
そう息巻いたケーラだが、アストナージの表情を見て少し佇まいを直す。
アストナージは、悲しい目でケーラを見つめていた。
「頼むから、無茶な事だけはしないでくれ……もう、嫌なんだよ……」
俯きながらそう言葉をひねり出すのがアストナージの精一杯の抵抗だ。
グシャグシャに潰されたケーラの亡骸を思い出した、彼のその想いはケーラに伝わったのだろうか。静かにアストナージを抱きしめたケーラが彼の耳元で囁く。
「悪かったよ……でもね、やらなきゃならない事だって判ってるだろ?」
リ・ガズィの建造には多額の予算がつぎ込まれていた。
ユーラシア連邦のこの計画に賭ける意気込みは相当なものである。その為これがモノにならなければ、2人のこれからが無くなるかも知れないのだ。
この世界にたった2人。
異分子である彼らは、自分達の居場所を確保する為にもリ・ガズィを完成させる必要があった。
「何よりケイロンを守らなきゃ、アストナージだって死んでしまうんだ……そんなのは私も嫌だ」
互いに互いを支えあう関係。馴れ合いではなく、依存でもない関係。
それは互いに信頼し合っているから。互いの力を知っているから。
だから2人は惹かれ合ったのかもしれない。
「だから早く完成させるんだよ。判るよね? アストナージ……」
ケーラが顔を寄せ、2人は軽く唇を重ねる。
それで決心したのか、アストナージが口を開いた。
「わかったよ……俺は完璧な整備をする。だから、中……ケーラは必ず戻ってきてくれ……そして……」
「パインサラダ」
「え?」
ケーラが微笑しながらアストナージに言う。
「完璧に仕上げたら、今度こそパインサラダ食べさせてくれるんだろ?」
今思えば遠い過去の約束にも思える。
結局果たせなかった約束だが、今は違う。
「ああ! とびっきりのヤツを作ってやるよ!!」
その後、戦場を駆ける緑色の半可変MSが幾度と無く目撃された。
高速且つ神出鬼没のそのMSが現れる度ザフト軍は相当の損害を被った為、誰とも無くその機体を『ゴースト』と呼ぶようになる。
だがオーブを中心とした連合軍がデュランダルを討った時、その姿は戦場に無かった。
連合、ザフト、オーブすべての軍に於いて撃墜したと言う記録も無い事から『ゴースト』は本当に幽霊だったのではないかという噂が広まり、
ユーラシア連邦も戦後の混乱でこの機体の関連情報が失われた為、その正体は永遠に謎のままとなってしまったのだった。
もちろんケーラ・スゥ、アストナージ・メドッソという人物についても存在は公になっておらず、彼らのいた痕跡もまた混乱の中失われた。
C.E74年。
世界はいまだ混乱から立ち直れずにいる。