ムシャ |
ムシャ |
∩___∩ | ぷらぷら
| ノ ヽ (( |
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彡、 |∪}=) ,ノ ∴ 機動戦士ガンダムSEED side A 第16話
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星海を紅いモビルスーツがテールノズルから伸びる光を尾にして駆け抜けている。
その背後を三機のジンが辛うじて追いすがりながら機銃を斉射していた。
「遅いな」
機体各部のアポジモーターを開き射線から巧みに機体を外していく。
彼――アスラン・ザラの愛機となったGAT-X-303イージスにはPS(フェイズシフト)装甲が採用されており
ジンの基本兵装である76mm重突撃機銃の銃弾程度ならば少々当たった所でどうという事はないがPS装甲とて万能ではない。
電流を流し相転移させる事によって強靭な防御力を得るPS装甲を採用する機体は継戦能力に問題を抱える事になる。
相転移を維持するための電力をこの装甲は必要とする上に被弾すれば平常時以上に電力を消費するのだ。
だからこそ、装甲を過信するわけにはいかない。
G兵器の中でもとりわけ燃費が悪いイージスにとっては特に肝に命じねばならぬ事だ。
「よしっ!!」
アスランは意を決すると一気に機体を反転しブーストさせる。
猛烈な勢いで接近するイージスの眼前に向け二機のジンは牽制のミサイルを見まうが
イーゲルシュテルンからばら撒かれた銃弾の群れによってその全てが撃墜される。
――あの時に比べればこんなものっ!!
勢いのままに機体が交差する刹那、イージスのビーム・サーベルがジンを袈裟斬りにする。
さらにアスランは姿勢制御を一瞬で終え、至近からのイーゲルシュテルンで
未だに反応しきれていないもう一機のジンの頭部・マニピュレイターを破壊する。
「二機目っ!!」
最後に残ったジンにイージスはビーム・ライフルを放つ。
ジンは回避運動をとりながら機銃を斉射するがイージスの装甲に触れる事はない。
そうしているうちに一条の光がジンの腕部を捉えアスランはさらに攻勢を強める。
「なかなか粘るがコレで…三機目!!」
腕部の破壊に伴う姿勢制御動作の隙を突いた閃光に貫かれ最後のジンが爆炎に消えた。
「機体動作、射撃安定。やはり出来がいいんだな…」
低軌道会戦でMk-Uによって破壊されたイージスの腕部・脚部は
ヘリオポリス襲撃の折に回収した予備のパーツと取り替えられその性能を遺憾なく発揮してくれる。
だが、それは連合の技術力の確かさを示す事と同義でありアスランは素直には喜べなかった。
「物量って奴か…ンッ――反応来たっ!!」
アスランがイージスを急速後退させると同時に天頂方向からの赫いビーム粒子が視界を貫く。
さらにイージスがビーム・サーベルを起動するとほぼ同時に一気に接近した機影が光刃を振り下ろす。
「―――!!」
ビーム・サーベルの刃と弾け飛ぶ粒子。そして、目の前の機影――GAT-XSP-102ガンダムMk-Uがモニターに映し出された。
Mk-Uのデュエル・アイが輝くと同時にアスランはイージスを一気に上昇させビーム攻撃を仕掛けるが
その全てが超絶的な反応で避けられ徐々に間合いを詰められる。
「だが――もらった!!」
アスランとて闇雲に撃っていた訳ではない。
動きを誘いMk-Uを穿つ一撃を浴びせんと狙っていたのだ。
ロックオンマーカーが橙から赤に変わると同時にビームを放つ。
「なっ!?」
だが、Mk-Uは機体を縦に半回転させて完全なタイミングで放たれたはずのビーム光を回避する。
そればかりか、その態勢のままシールドからミサイルを発射させて反撃に転じた。
「クソッ!!」
爆風がイージスを襲い直後に貫くように放たれたビーム粒子をイージスは辛うじて回避する。
これは反応できたというよりは偶々避ける方向が良かっただけといってよい。
――後退…いや、無駄だと思い知っているはずだ!!前に!!
無意識に囁かれる声――恐怖を無理やり捻じ伏せるとアスランは再びビーム・サーベルを激突させる。
弱い気持ちにつけこまれるのは二度と御免だという未熟な意地がとらせた行動と言えなくもない。
「オオオォォォォッ!!」
己を奮い立たせる叫びを発して残った右腕のビーム・サーベルでMk-Uを貫かんとする。
だが、Mk-Uの光刃が一瞬速くイージスの腕部を引き裂き、
そのまま間髪いれずスラスターを全開にした蹴りをあびせる。
「グアッ!!…はっ!?」
そして、大きく弾き飛ばされ致命的な隙を曝け出したイージスの胸部にビーム粒子が叩きつけられた。
「………」
デュエル・アイの光を失い宇宙を力なく漂うイージスのコクピットでアスランはモニターを無言で睨む。
A SIMULATION TRAINING IS OVER
眼前のモニターにそう表示されていた。
現実には先程までの戦闘は全てコンピュータ・グラフィックによるものであり
イージスは、何らの損傷も受けてはいなかった。
≪アスラン・ザラ、訓練は終わりだ。戻って来い≫
「了解した。…データにも負けるか、クッ!!」
オペレーターの声にようやく反応するとアスランは毒づきながら
シミュレーションモードを停止させイージスをヴェサリウスに向かわせた。
「イージスの調子は問題ない…か。それにしてもアスランも中々どうしてやる」
イージスをブリッジから見やっていたクルーゼは誰ともなしに呟いた。
実際にアスランは今回の訓練でも伸びしろの広さと深さを窺わせていた。
「しかし、私は少々気にならなくもありません」
「ほう…」
アデスはどことなく咎める様な口調を発する。
最後に出てきたMk-U。あれはアスランが無理に頼み込んで今回の訓練に追加したのだ。
それも通常のプログラムではなく反応速度を極端に設定したどちらかといえば欠陥品に類するモノだ。
アスランが敗れるのは至極当然の事なのである。
むしろ、こんなモノを相手にしていて実際の戦闘行動への齟齬が生じぬかとアデスは危惧していた。
「アスランの特定の敵に執着する傾向はあまり良いとは思えませんな」
「フッ、若いのだろう。それにストライクの時とは違うのではないかな」
今のアスランは、遮二無二、力を求めている。
低軌道会戦での自分の不甲斐なさがよほど許せなかったのだろう。
ヘリオポリス襲撃以来の鬱屈が嘘のようなイージスの動きだ。
ストライク――キラ・ヤマトだけにかまけていた時より、
余程うまく公私混同をしてのけているとクルーゼは告げていた。
プラント(P.L.A.N.T.)――
ファーストコーディネイター、ジョージ・グレンが構想し建造された新世代スペースコロニー。
これからなるL5のスペースコロニー群は天秤型コロニーとも呼ばれ、砂時計のような景観を宇宙に浮かべている。
ここはCE54年代のS2型インフルエンザ流行から始まる地上でのコーディネイターへの迫害という混乱期を経て
現在では、"コーディネイターという同胞意識を共有する人々"にとっての故郷であり国となっていた。
その名称は、Production Location Ally on Nexas Technology(結合的技術による生産的配列集合体)の略称であり
また、大規模生産基地という意味を兼ねていたのだが、CE70.2月18日の現最高評議会議長シーゲル・クラインによる
『黒衣の独立宣言』以降は、Peoples Liberation Acting Nation of Technology(テクノロジー人民解放国)という
意味合いの方が好んで用いられるようになった。
大西洋連邦を初めとする連合加盟国において今大戦はプラント側の策謀に
端を発すると説明されているがそれは正確ではない。
実際にはとうの昔に不和の種はばら撒かれていたのだ。
反コーディネイター組織によるテロ事件に対する理事国側の無関心と怠惰。
自分達の境遇の是正を訴えるシーゲル・クライン、パトリック・ザラ主導による
黄道同盟 ――後のザフト(Z.A.F.T.:Zodiac Alliance of Freedom Treaty=自由条約黄道同盟)設立。
地球への利益誘導のみに腐心しそれに反比例するように杜撰さを増していく管理体制。
それにつけこむ形で自治権を拡大させ、出資国からなる理事会のコントロールを
受けつけなくなっていったプラント評議会。
誤りを是正することなく武力を背景とした高圧的対処を軽々に繰り返していったナチュラル。
そして、遂には激発し、人類史最大規模の死者を生み出すに到ったコーディネイター。
コーディネイターのナチュラルに対しての能力的優越からくる自意識の拡大と
不当に虐げられてきたという復讐心による過ぎた反動も重要な要素ではあるが
保身・虚栄心を優先させ、実問題を後回しに、あるいは軽挙に対応し続けてきた
理事国側の責任は否定できるものではない。
結局のところ自らの正義を両者共に声高に主張しているが
蛮行が次の蛮行を生み出していく様相は見るものが見ればさぞや愚かしく映った事だろう。
≪ハロ、ハロ。アスラ〜ン≫
「一体、何ですか。このハロ達は?」
≪ハロッ、毎度、毎度!!≫
プレゼントの花束を手渡しながらもアスランは周囲を飛び跳ねるハロの数に些か困惑気味だ。
アムロの知るハロより一回り小さいサイズのこれらは全て、アスランがラクスのために製作した手製のロボットである。
彼女に初めて送った際に殊の外喜ばれた事もあり、アスランはそれ以来何体も造っては手渡してきたのだ。
彼にとってハロが大切にされているのは嬉しくもあり、今この場においては若干の煩わしさも含まれるといった具合だ。
「あなたを歓迎しているのですわ。さあ、どうぞ」
「はぁ…」
実機訓練を終えた後、アスランは婚約者であるラクス・クラインを訪ねていた。
プラントに帰還した後も多忙だったため今日まで後回しになっていたのだ。
もっとも、婚約者といっても14歳の時に父親に唐突に告げられた話であるため
彼はプラントの歌姫と自分がそうであるという事に未だに持て余している部分もあった。
「さあ、お髭の子が鬼ですよー」
人口ではあるが湖と豊かな緑の景観が映える庭園の四阿(あずまや)に案内されたアスランは
ペンで髭を描いたハロをフワリと優しく手で放るラクスを見つめる。
透き通るような白い肌、柔らかそうに波打つ桃色の髪。
遺伝子操作で外見をかなりのレベルで設定できるコーディネイターであり
シーゲル・クラインの娘となるとさらに高度なコーディネイトが施されている事は疑いないが
そのような無粋は抜きにしてアスランは彼女が素敵に思えた。
「お戻りになると聞いてお会いできるのを楽しみにしていたのですよ」
「すみません。色々と立て込んでいて――」
優しいラクスの言葉にアスランは来訪が遅れた事に申し訳なさを感じ謝罪した。
香りの良いハーブティーと、クッキーを口にしながら談笑を交えていくうちに
話題は徐々に戦争についてのものに移っていった。
このような流れが当たり前になってしまう時代なのだ。
「私のお友達も何人も志願して…戦争がどんどん大きくなっていく気がします」
ラクスは掌の砕いたクッキーを鳥に与えながら目を伏せる。
その姿は一枚の絵であったなら見る者に儚さと慈愛を印象付けた事であろう。
ここで、気の利いた者なら励ましの台詞の一つも告げるところだが、
――戦争か…。今の俺には力が足りない。しかし、叶うならあのパイロットともう一度…!!
アスランに思い起こしたのは己の未熟と連合のエースの事だった。
今、自分が別の意味での未熟をさらけ出している事には自覚がないようだ。
「――スラン。アスラン」
「へっ?」
気付くとラクスが目の前で手を振りながら不思議そうにアスランを見つめていた。
つい間抜けな声を発してしまった後、婚約者の前で自分の事ばかり考えていた己をアスランは恥じた。
「あ…いえ、すみません。ラクス」
「ウフフ、いいんですよ。それに――最近はずっとお辛そうな顔だったのに今のアスランはどこか楽しげで私も嬉しいですわ」
「えっ…?」
「キラ様の事とか…心労もお有りの様でしたので。少しでも晴れたのならそれは良い事でしょう?」
「あ…いや…それは」
ラクスの投げかける言葉にアスランは狼狽した。
実のところ、プラントに帰還してからアスランはキラの事は頭の隅に追いやっていたのだ。
これは、アムロとの交戦と敗北によって自身の精神を疲弊させる思考からの
逃げ道が生じた事によって引き起こされた精神作用によるものである。
それを見透かされたようで、アスランは動揺を禁じ得なかった。
――俺は今…戦争を感じて…楽しんでいた!?俺から何もかも奪っていく戦争を!?
「すみません、アスラン。私、何か失礼な事を…」
「ハッ!!…いえ、違うんです、ラクス。これは…自分が…」
彼の酷いうろたえようにラクスは謝罪の言葉を口にした。
その姿にアスランは申し訳なさとやるせなさを感じて、
しばらくの時間を自身と彼女の気分転換のために費やす事となった。
ピピピピピッ…――
エレカを停めカプセルを口に含もうとしたクルーゼに通信端末からの呼び出し音が響いた。
「はい、クルーゼです」
≪私だ…≫
慇懃無礼ともとれる突然の言い様ではあるがクルーゼは特に気にしてはいない。
この通話の相手は、他者に対し、どこまでも傲岸であるのだ。
「これは、ザラ委員長閣下。この時間に連絡とは…例の件、通ったと考えてよろしいので?」
≪ああ、細かいのはまだ残っているがな。夜にでも――≫
プラント評議会国防委員長パトリック・ザラ。アスランの父親である。
彼はクルーゼの察しの良さに気分を良くし声のトーンを少し上げながら言葉を続ける。
もっとも、クルーゼからすればシーゲル・クラインの発言力が著しく衰えた今となっては
オペレーション・ウロボロス強化案、"オペレーション・スピットブレイク"の可決は
至極当然の結果として予測の範疇であったのだが。
「分かりました。その時間にお伺いします」
≪フッ、我らが本気になればナチュラルなど…だな≫
最後にそう言い放ち通話は途切れた。
クルーゼはその言葉に口角を歪め、
「ククッ、精々驕るがいい。パトリック・ザラ」
そう一人ごち、クルーゼはパトリックを嘲笑った。
パトリックは元々、ナチュラルに対する敵愾心を人一倍持っていたが
今のパトリックの思考は、実はクルーゼによって巧みに誘導されたものである。
パトリックはクルーゼを便利な道具と思っていたがクルーゼからもそれは同様であった。
両者の違いはそれを相手に気付かせているかどうかという点である。
「やはり、滅びたいのかな…人類(ひと)は」
ニュータイプ能力に目覚めてからのこの数日間、
クルーゼは己の立場を利用し軍や評議会の要職にある幾人もの人物と接触を持った。
彼自身が選別したそれらの人々には同様の精神志向があった。
『誰も戦争などしたくはない。だからこそ早期終結のために!!』
『もっと、本気にならねばならんのだよ。我らは!!』
『子供達に…より良い未来を。そのためにも!!』
表面上こそ千差万別であるが内面ではそれそれが激発する瞬間を窺っている様だった。
自らが暴走するための引き金が引かれるのを心の何処かで待ち焦がれてるのだ。
ならば、クルーゼは、少しだけ背を押してやればよい。
そうすれば、後は勝手に自ずから転がっていくのみだ。
――この有様で新しい人類とは嗤わせる。コーディネイトはエゴをも強化するのかもしれんな。クククッ…
クルーゼのコーディネイターに対しての認識は大多数のナチュラルともコーディネイターとも違っていた。
それもそのはずである。彼の存在はコーディネイターの優位性に対するアンチテーゼそのものなのだから。
「フッ、それにしても便利なものだよ。この感覚は」
元々、立場上の優位さがあるにしろ短期間でここまでの成果を出せたのは
やはり、ニュータイプ能力に拠るところが大きい。
他者の総体を正確に把握する事ができれば精神誘導もより速やかにこなせるのだ。
彼はその優れた資質の本質を理解しながらもそれとは程遠い事に利用している。
アムロ・レイは本当に良い土産をくれたものだと
クルーゼはフロントガラス越しに人口の空を見据えながら笑みを浮かべた。
――しかし、何なのだろうなアレは。
別の思考が頭をもたげ、クルーゼの顔から笑みが消える。
クルーゼは、プラントで動いているうちに正体定かならぬ潮流を感じ取り始めていた。
彼の行いとは別種のまるで真綿で締め付けるかのような強制力の存在を。
それは、彼の選定とは無関係であったのだが、
プラントにかなりのレベルで喰い込んでいるとクルーゼはおぼろげながらも認識していた。
「まあいい…イレギュラーの存在は、それなりに面白くもある」
しかし、クルーゼはそれらに対しては意図的に看過する事にしていた。
彼は彼自身の目的に躊躇などは無かったが、時折、不確定要素を故意に含ませる傾向があった。
クルーゼのこの何処か矛盾し屈折した行いの源泉は彼自身さえ正確には把握しきれていなかったのかもしれない。
そして、クルーゼの感知がひどく曖昧なモノであった事にも理由がある。
それは、プラントの人々にとって、遠くにありながらもごく身近な存在でもあったのだから。
「それでは…時間が取れれば、また伺いますので」
「はい。お待ちしていますわ」
別れ際、ラクスはアスランにほころんだ笑顔を向ける。
この人にはいつも笑っていて欲しい。そう感じさせるものがあった。
「…ラクス」
それを見た彼は意を決してラクスに向けて顔を近づける。
そして、ラクスもアスランを受け入れるように瞳を閉じた。
「んっ」
少し躊躇した後、アスランはラクスの頬にキスをした。
一瞬、唇にとも頭に過ぎったが結局そこまでの勇気は持てなかったのだ。
「では、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
気恥ずかしさで顔を赤くするとアスランはややギクシャクした動きで扉の向こうに消えた。
「フフッ、不器用な男(ひと)ですわね。アスランも」
≪ハロ、アカンデ〜!!≫
「では…ピンクちゃん。今日も私と"お勉強"ですわ」
ラクスは一番のお気に入りのピンクカラーのハロを掌に乗せると自室へと向かう。
チャリ…チャリ…――
彼女は金属が擦れる音を聴いていた。
周囲にはそのような音を鳴らすモノは存在しない。誰もそのような音は聴かない。
だが、ラクスには彼女にだけは確かに聴こえていたのだ。
「………」
その時の彼女は他者が見れば別人に思えたかもしれない。
能面を貼り付けた様に無表情な彼女の顔に見覚えのある者などいないのだから。
≪ラクス〜≫
「ピンクちゃん、ありがとう。…もうすぐですから…もうすぐ…フフッ」
ハロの発声音を聞きラクスはすぐに普段の朗らかな笑みを湛えると静かに部屋の扉を閉めた。
アスランはエレカを少々呆けた表情で動かしていた。
口唇にはラクスの柔らかい頬の感触が未だ残っている。
――もうちょっと巧くやれないものかな、俺も。
ザフトの兵士、モビルスーツパイロットであるとはいえアスランも少年なのだ。
そのような事を考えてしまうのは当然である。
「んっ?」
比較的ゆっくりとした速度で走行するアスランのエレカを後方から大型のエレカが追い抜いていく。
それ自体はどうという事は無いがそのエレカは窓を開け放っており
そこから、ついさっきまで一緒にいた少女――ラクスの歌声が洩れ聞こえてきた。
「………」
アスランが感じていた甘酸っぱさが霧散する。
そして、先程までありふれたジャズを流していたカーステレオもラクスの歌声を発し始める。
「………くっ!!」
アスランは小さく呻くとカーステレオの電源を切った。
何故かは分からない。ラクス自身に対しては好意すら持っている。
なのに、どういう訳か彼女の歌をアスランは拒絶してしまうのだ。
意識的には我慢もできるのでラクスとの関係に亀裂が生じる事はないが
そのような自分に対してアスランは自己嫌悪していた。
「いい加減、直さないとな…本当に」
ピリリリリッ…――
アスランは物思いを中断しシートに放り投げられた通信端末を手に取った。
液晶にはニコル・アマルフィと表示されていた。
「どうした、ニコル」
「あ、アスラン。実は今日、母さんが夕食に招待したいって――」
少し幼さが残る声音でニコルはアスランに訊ねた。
ニコルの母、ロミナ・アマルフィは時折こうして彼を家庭に招待してくれる。
母、レノア・ザラの死後、父親との関係も疎遠なものとなってしまったアスランを心配しての事だろう。
話を聞くに今日は夫のユーリ・アマルフィが留守なのに彼の分まで作ってしまったとのことだ。
――前は鍋が大きすぎただっけ?ロミナさんらしいな。
アスランはお決まりの社交辞令に苦笑した。
「わかった、今から向かう」
アスランにとっても家庭を感じられる数少ない機会だ。
快く承諾すると彼はエレカをシャトル港に向けダッシュさせた。
「いらっしゃい、アスラン。さ、どうぞあがって」
「招待、ありがとうございます」
アスランの言い回しにロミナはにこやかな笑みを湛える。
一児の母である彼女の性格は一言で言って家庭的で誰に対しても優しい。
彼女にとってアスランは息子の友人というだけではなく
レノア・ザラの――友人の遺した子供でもあった。
「アスラン、そんなに畏まる必要はないのよ」
「そうですよ、僕達の方がもてなす立場なんですから」
軽く窘める母にニコルが追従する。
アスランはその様子を眩しそうに見つめる。
そこには、彼が欲しても得られない暖かさがあった。
「育ち盛りなんだからたくさん食べてね」
アスランがテーブルにつくとロミナの手で次々と料理が並べられる。
ローストチキンは見事に焼き上げられて、香ばしい匂いが食欲をそそる。
そして、粉チーズと半熟卵を絡めたシーザーサラダは目に鮮やかに
デザートのアップルパイの甘い香りがさらにアスランの若い胃袋を揺さぶった。
「どう、美味しい?」
「はい、美味しいです」
「よかったぁ」
アスランの素直な賛辞にロミナは本当に嬉しそうだった。
如何に腕を振るったか料理の一つ一つを食すれば自ずと窺い知れる。
これはきっと、休暇が終わればまた戦場に飛び出していく自分達に彼女が出来る事なのだ。
アスランはその事に感じ入り、そして有り難く思った。
食事が済みニコルのピアノ演奏が終わるとアスランは一人庭先に立った。
少し浮かれた気分をここで醒ましていたのだ。
「アスラン、何をしているの?」
背後からロミナが声をかけて来た。
「少し、風に…」
「そう……」
ロミナは彼女にしては珍しく何か言いよどんでいるようだったが、時を置くと意を決して口を開いた。
「アスラン…あなた達の次の任地は本当に…地球…なの?」
「……はい」
アスランは彼女が本当は"あなた達の"ではなく"ニコルの"と言いたかったのだろうと察した。
地球――今のザフトにとってそれは人員と物資を食い潰す蟻地獄のようなものだ。
それを聞いてロミナの表情が痛切なものに変わっていく。
肩は振るえ、瞳からは一筋の涙が零れる。
ニコルの前では殊更明るく振舞っていたロミナの今の姿はアスランの眼にひどく痛々しく映った。
「…アスラン。こんな事、あなたに頼める事じゃないのはわかってる。
だけど、どうかお願い。ニコルを…ニコルを護ってあげて」
それは、母親としての願い。当然の願い。
そして、彼女はアスランよりもニコルの生命を優先している自らの欺瞞を自覚し心を痛めている。
他の何者よりも息子の無事を祈る姿を謗る事などアスランには出来なかった。
「はい。…ニコルは俺が…俺が必ずプラントに帰します」
アスランは出来るだけ彼女を勇気づけられるように答えた。
彼女が、亡き母の友人が息子を喪うなど、不幸になるなど決してあってはならないのだから。
「母さーん。アスランも何をしてるんですかー?」
「あ、えっと、アスランとちょっとお話をしてたのよ」
二人の姿を見つけたニコルに振り向いた時、ロミナはいつもの母親に戻っていた。
アスランはその姿を見て改めて決意を固くした。
彼にとって、これは決して破ってはならぬ約束。果たさねばならぬ誓いだった。
そのはずだったのだ――
この後、ニコルとロミナからは泊まっていくようにと勧められたが
アスランはそれをやんわりと断るとアマルフィ邸を後にした。
エレカを呼ぶ気にもなれずプラントの夜間設定時間をブラブラと歩む。
――母親…か。
血のバレンタインで散った母、レノア。
もし生きていたらあの人も自分の前で気丈に振舞い、
そして、何処かで泣いたのだろうかと埒のない事だと分かっていながらも考えてしまうのだ。
「月にいた頃は…母がいて…キラがいて…」
月面都市コペルニクスでアスランはキラと出会いすぐに打ち解けた。。
何処か頼りないところのあるキラをちゃんと面倒を見るように母に言われた。
兄貴風を吹かすのも最初は馴れなかったが次第に自分から楽しむようになった。
その時は戦争など遠い何処かの話のようで今のような未来など想像もしていなかった
キラとの思い出は、母との思い出でもあり、彼にとって最も優しい時代であった。
そしてそれこそが、現在のキラへの複雑な心情に結びついている。
アスランにとってキラは戻ってこない過去の象徴なのだ。
「あ…れ…」
アスランは己の自覚せぬうちに涙を零し始めていた。
一旦堰を切ったそれは止めどなく溢れてくる。
「なんなんだ…一体…。くそ、これじゃ格好が悪すぎるじゃないか…」
アスランの意に反し翡翠の瞳から溢れる涙は、嗚咽はしばらく止む事はなかった。
そして、CE71.2月28日――アスラン・ザラは新たな任地、地球に向け出発した。