地球衛星軌道上での地球、ザフト両軍の戦いは、アークエンジェルの降下を以て幕を閉じた。地球降下時にイージスの追撃を振り切ったアークエンジェルは、灼熱の大気を越え、大地と海を眼下に捉えながら蒼穹の中を降りて行く。
アークエンジェルの格納庫では帰艦したνガンダムと左腕を失ったストライクがハンガーへと、その巨体を納めていた。
ストライクは灰色の機体と外されたエールストライカーパックに見受けられる傷は、戦いが如何に壮絶な物だったかを物語っていた。
「――ハァハァ……済みません……ストライク、壊して……しまい……ました……」
「――おい、大丈夫かよ!?……たっく、馬鹿野郎が!パイロットがそんな事、気にするんじゃねえよ!そんな事より、自分の体を心配しろ!」
「……ハァハァ……ありがとう……ございます」
ストライクのコックピットを降りたキラは肩で息をしながら、マードックの元へとやって来た。見るからに疲労の色が濃く、足元も覚束ない様子だった。
コーディネイターのキラが、ここまで酷い顔色を見せているのをマードックは心配しながら肩を貸した。
その様子を見た整備兵達がキラに声を掛ける。
「――お疲れ、大丈夫か?」
「……ハァハァ……はい……大丈夫……です」
「……全く、大丈夫に見えねえぞ。ストライクを直すのは俺たちの役目だ。気にしないで休め」
「……ありがとう……ございます。ストライクの修理……お願いします」
誰がどう見ても、無理をしている様に見えるキラに対して、マードックは呆れた顔を見せる。
キラはストライクを壊してしまった責任を重く受け止めているのか、マードック、そしてキラを見つめる整備兵達に頭を下げた。
そこへムウが駆け寄って来て、キラに声を掛けた。
「おい!大丈夫かよ!?」
「……ハァ……ハァ……はい……」
「無理すんな!肩、貸してやるから、とっとと医務室に行くぞ!……キラ、出れなくて済まなかったな」
「はぁはぁ……いいえ」
「ま、何であれ、無事に帰って来れたんだ。行くぞ!」
「……ハァ……ハァ……はい……済みません……」
ムウはマードックから引き継ぐ様に、キラの脇に肩を差し込み支えた。
その傍らでは、νガンダムを降りたアムロが出撃前にマードックから渡されたバッグを返そうと差し出した。
「マードック、これは必要無くなった。返しておく」
「ええ。お疲れ様です!」
「また、よろしく頼む」
「ええ。勿論ですとも!」
マードックはバッグを受け取ると、アムロが差し出す手を取り握手を交わした。
その二人を見ながら、ムウがアムロに声を掛ける。
「お疲れさん!」
「ああ。また世話になる事になった。よろしく頼む」
「ああ。こっちこそ、ヨロシク」
アムロはムウに挨拶をすますと、ムウの支える反対側からキラの肩を支える。
その間もキラは肩で息をし、苦しそうな表情を見せていた。
「キラ、大丈夫か?」
「……ハァハァ……はい……大丈夫です。……ハァハァ……アムロさん、さっきは……ありがとう……ございました」
「気にする必要は無いさ。それよりも、熱でやられたんだな?早く治療をした方がいい」
「ああ、今から医務室に連れて行く。手伝ってくれ」
「分かった」
アムロはムウの言葉に頷くと、医務室へと二人でキラを支えながら格納庫を後にした。
格納庫を出てすぐの居住区へと繋がる通路の角で、アムロは目の端にピンク色の淡い髪の少女を捉えた。
「――ラクス・クラインか?」
「――あ?」
「……ラ……クス!?……ハァ……どうして……こん……な所……に!?」
アムロの声に反応したムウが顔を向けると、項垂れていたキラもゆっくりと顔をラクスの方へと向けた。
本来なら、ここはまだ格納庫に分類されるブロックで、ラクスは立ち入りを許されてはいない。
しかし、展望デッキで傷ついたストライクの帰還する姿を見たラクスには、立ち入り禁止である事さえ忘れて、この区域に走って来たのだった。
アムロとムウに支えられたキラの姿を見たラクスが、彼の元へと駆け寄る。その表情は、血の気が引いている様に見えた。
「――キラ、お怪我は!?大丈夫ですか!?」
「……ハァハァ……あ、うん……僕は……大丈夫……。……ハァハァ……ストライクは……壊しちゃった……けどね……」
「――大丈夫ではありません!そんなにお苦しそうなのに……」
キラはラクス心配掛けまいと無理に作り笑いを浮かべる。
しかし、キラの笑顔は痛々しく見え、ラクスは心配しながらも無理をするキラに怒った。
「……ハァハァ……ラクス……心配かけて……ハァ……ごめん……ね……」
キラにラクスの怒っている意味が伝わったのか、キラは本当に申し訳なさそうな表情を向けて謝った。
そして、言い終えたキラは、ラクスに少しだけ笑顔を見せると、力尽きたかの様に意識を失った。
「――!しっかりしてください!キラ、お願いですから目を開けてください!」
「ラクス・クライン、落ち着け!」
気を失ったキラを見てパニックを起こしたか、ラクスはキラの顔を手で包むと揺り動かそうとする。
それを見兼ねたアムロがラクスに怒鳴る様に声を上げると、ラクスは一瞬、体を強張らせた。
続ける様にアムロはムウに声を掛ける。
「ムウ、急ごう!」
「ああ!おい、お姫さん!ここに入った事は見逃してやるから、一緒に来てくれ!キラを医務室に連れて行く!」
「――はい!」
ムウは頷くと、目の前に立つラクスに声を掛け、一緒に来る様に促す。
ラクスは、必死に頷くと、キラを支えるアムロとムウの後を涙を溜ながら付いて行った。
地球軍プトレマイオス基地への奇襲を成功させたクルーゼ率いるザフト軍艦隊は、月の他の地球軍基地よりの援護を確認し、一路、帰還の途へと着いていた。
作戦自体、クルーゼの望み通りには行かなかったが、プトレマイオス基地ドックの完全破壊には成功し、旗艦ヴェサリウス、そして、他の艦でも、兵士達は作戦成功で歓喜が溢れんばかりだった。
そして、作戦の立て役者であるイザーク・ジュールは、バスターに乗るディアッカ・エルスマンにより救出され、旗艦ヴェサリウスの医務室で体を横たえていた。
「……ううっ……こ、ここは……?」
「お、気が付いたか?安心しろ、ヴェサリウスだ」
「……ヴェサリ……ウス……だと?」
「ああ、そうだ。作戦は成功したんだ。君はあれだけの爆発に巻き込まれたのにも関わらず、大きな怪我も無い。全く運がいいな」
イザークは目の前に見える蛍光灯の灯りに目を細めながら、体を寝かしたまま声のした方へと顔を向けた。
そこには、あまり世話にはなってはいないが、ヴェサリウスに常駐勤務している軍医の顔があった。
「……本当に成功したのか……?」
イザークは呟くと体を起こしす。体の節々が痛み、自分が生きている事を実感させた。イザークが体を起こし終えると、軍医がベッドの上半身側を起こして寄りかかれる様にと気を使う。
軍医にイザークは「済まない」と礼を言うと、体が五体満足なのを確認する。しかし、心の中では作戦を見届ける事が出来なかった為に、未だに半信半疑の表情を浮かべていた。
医務室の扉が開き、ディアッカが顔を覗かせる。
「――イザークはどうですか?」
「ああ、目を覚ましたぞ」
軍医は顎でベットの方を指すと、ディアッカは医務室へと入りイザークの元へとやって来た。
イザークは、その遣り取りを見ていた為、ディアッカが声を掛けるよりも早く口を開く。
「ディアッカ、貴様も無事な様だな」
「ああ、当たり前だ。イザークこそ大丈夫なのかよ?」
「……ああ。それよりも、作戦が成功したらしいが本当か!?」
「ああ、凄かったぜ!」
作戦が成功した事を実感出来ないイザークは、本当に成功したのかとディアッカに確かめた。
ディアッカは片手で椅子を引き寄せると、腰を下ろしてにやけながら答える。
そこへ新たな来訪者が訪れた。イザーク達よりも若干年位に見えるが、グリーンの制服に身を纏っていた。
「――失礼します。こちらに、ブリッツのパイロットが運び込まれたと聞いたのですが……」
「――ん?ああ、それなら彼だ。さっき目を覚ました」
「話をしても大丈夫ですか?」
「見て分かる通り、話しているだろう?」
軍医はディアッカの時と同じように顎でイザーク達を指すと、机に向かい書類の整理を始めた。
グリーンの制服を着た兵士はイザーク達に歩み寄ると、敬礼をする。
「――お話中の所、失礼します」
「――ん?なんだ?」
「脱出の時に助けて頂いたジンに乗っていた者であります!この度は助けて頂き、ありがとうございました!」
「……あのジンに乗っていたのか……大丈夫か?」
イザークは基地内で起こった脱出時の出来事を思い出した。
声を掛けられた兵士は背筋を伸ばし、脱出の時に情けない声を出していたのが嘘の様な凛とした声で答える。
「はい。あなたに助けて頂けなければ、今頃は死んでいたはずです。感謝しても、しきれないくらいです。それで、お怪我の方は?」
「ああ、見ての通り大きな怪我も無い。気にするな。それから、今度は情けない声を出すなよ」
「――は!あの時は、情けない姿を晒しまして申し訳ありませんでした!」
「イザーク、流石は英雄様だな。言う事が違うぜ」
二人の遣り取りを見ていたディアッカは、ニヤけながらイザークを茶化す。
イザークはディアッカの言葉が気に入らなかったのか、少し怒気を含んだ様に睨んだ。
「……英雄だと?俺は任務を全うしただけだ!ディアッカ、貴様は何寝ぼけた事を言っている!?」
「寝ぼけてるのは、お前だってぇの。作戦成功させて、しかも、コイツ助けたのを評価して、隊長がお前に勲章与える申請するって言ってたぜ」
「……本当か?」
「……本当でありますか?」
イザークと兵士は飄々と答えるディアッカに言葉に目を丸くした。
ディアッカは二人の表情を見て、「信じられないのかよ」と言うかの様に息を吐くと、少し怠そうな感じで口を開いた。
「マジだよ。敵基地ぶっ壊して、味方まで助けたんだ。勲章でも何でも、貰える物は貰っとけよ」
「……信じられん……」
「私は、あなたが勲章を受ける、それだけの働きをしたと思います!」
「……」
イザークが呆然としながら呟くと、兵士はイザークに向かって言った。
言われた当のイザークは、一瞬、時が止まったかの様に固まるが、あまりにも真っ直ぐ過ぎる褒め言葉に、顔をディアッカ達とは反対側に向けた。
それを見たディアッカはニヤケながらイザークをからかう。
「……イザーク、何照れてんだよ?」
「――だ、黙れ、ディアッカ!お、俺は照れてなどいない!」
「――あっははは!その割には、顔が赤いぜ!」
「――わ、笑うな!貴様も見てないで、要が済んだなら出ていけ!」
「――は!失礼します!」
豪快に笑うディアッカにイザークは怒鳴ると、その矛先は兵士へと移った。
イザークに怒鳴られた兵士は、すぐに敬礼をすると踵を返し、医務室を後にする。
それを見たディアッカは呆れながらも、イザークを諭す様に言った。
「おいおい、照れを隠すのに、心配してくれた相手を無下に扱う事ないだろ?イザーク、お前の悪い癖だぜ」
「う、うるさい!それ位は自分でも分かっている!」
「はいはい、分かりましたよ、英雄様」
「その、英雄様は止めろ!」
「茶化して悪かった。イザーク、そう、熱くなるなよ」
「――フン!それなら、初めからそうしろ!」
ディアッカは降参とばかりに、答えるとイザークは鼻を鳴らして怒鳴った。
しかし、やがてその怒りも治まったのか、思い出した様にイザークは自分の乗っていたモビルスーツが気になり、ディアッカに真面目な顔を向けた。
「……そう言えば……ブリッツはどうした?」
「ああ、ありゃ駄目だ。ほとんどスクラップ状態だったからな。新しく組み直した方が早いって言ってたぜ。まぁ、助かったのが不思議な位だったからな」
「……そうか……ニコルに悪い事をしたな……」
ディアッカから出て来た言葉に、イザークは目線を落としながら呟いた。
出撃前に自分のデュエルを壊すなとニコルに言いながらも、その借り物であるニコルのブリッツをスクラップ同然にしてしまったのを後悔していた。
「……何、湿気たツラしてんだよ!作戦成功させたんだ、ニコルだって文句言うはずねえだろー!」
イザークの責任感の強さはディアッカにも分かっている。らしくないイザークを見るのは、あまり好きではなかった。
ディアッカは、そんな事は気にするなとばかりにイザークの背中を大きく叩いた。
その後、再びイザークの怒鳴り声が医務室に響き渡る事となる。
地球衛星軌道上で地球軍第八艦隊との戦いを終えたユウキ率いるザフト軍艦隊は、アスランの暴走で多数の犠牲者を出しながらも、第八艦隊自体がアークエンジェルの守りに回った事で、難なく離脱する事が出来た。
実質的な被害も、臨時編成の部隊ながら被害予想こそ下回ってはいたが、中には複座式の機体なども混ざって戦闘に参加していた為、機数に比べると人的被害は以外に多い。
しかし、クルーゼ率いる艦隊が地球軍プトレマイオス基地への奇襲を成功させた事で、艦隊の各員に悲壮感は見受ける事は無かった。
その中、問題の命令無視を犯したアスランは、帰艦後、出頭する様に命令が出され、今、正に隊長室に居るユウキの元を訪れようとしていた。
「――アスラン・ザラ、入ります」
隊長室の扉が開くとアスランは、隊長室へと一歩踏み込むとユウキに敬礼をして、その場で背筋を伸ばした。
ユウキは椅子に座ったまま、アスランの方に体を向けると、厳しい目付きで口を開いた。
「……アスラン・ザラ、どうして呼ばれたかは分かっているだろうな?」
「……はい。この度は申し訳ありませんでした……」
「分かっているのなら、何故、あの様な行動を取った?」
「……それは……」
「ラクス・クラインの為か?だとしても軍人として許される行為ではないぞ!一つ間違えれば、全滅していてもおかしくはないのだぞ!分かっているか貴様は?」
命令無視を行った理由を問われ、アスランは友達であるキラが原因だとは言えず、ユウキから目を背けながら言葉を濁した。
事情を知らないユウキは、その原因は婚約者であるラクス・クラインに有ると勘違いをしていた。しかし、その後に続け出て来る言葉は、軍人として、しては成らぬ一線を越えてしまった事を実感させた。
「――!……はい。私は軍人として、しては成らぬ行動を取りました。……どんな処分も受けるつもりです」
「……ほう、潔い覚悟だな。本来なら、ニコル・アマルフィも貴様の隣に立たせているとこだ」
「――ニコルは……、私を止めようとしただけです」
「……本当か?庇っている訳ではあるまいな?」
「はい。先程言った通り、ニコルは私を止めに来ただけです」
自分の行動を止めようとしたニコルが、同罪扱いとして見られていたのをアスランは必死に弁明し、自分の単独行動であると主張した。
ユウキにとって、自らの教え子でもあるニコルの行動を過去と照らし合わせて考えてみれば、確かにアスランの言う様に止めに入ったと思うのが妥当だった。
納得した様にユウキは頷いて席を立ち、アスランの前に向かう。
「……分かった、信じよう。貴様の独断行動が原因でニコルは負傷したと言う事だな。他にも戦死者まで出している。分かっているのか?」
「……はい」
「なら、歯を食いしばれ。修正してやる」
「――は!」
アスランは手を後ろ手で組むと歯を食いしばり、両脚を踏ん張る様に力を入れ背筋を伸ばす。
ユウキは、思い切り腕を振りかぶると、力一杯にアスランを頬を殴った。
「――うっ!……申し訳……ありませんでした……」
殴られたアスランは、踏ん張っていた為に倒れる事は無かったが、口の中に血の味が広がった。口の端から流れる血を拭うと、すぐに背筋を伸ばす。
ユウキは、厳しい視線を向けながら命令口調でアスランに怒鳴る。
「二度とこの様な真似をするな!本国に戻るまで貴様は謹慎していろ!処分は本国にて下される事となる。分かったな!」
「――は!アスラン・ザラ、謹慎に入ります!」
ユウキの言葉にアスランは敬礼をすると、踵を返して隊長室を出て行こうとするが、扉が開いた所で歩を止めた。
「……あっ!」
「……なんだ?」
席に戻ろうとしていたユウキは振り返ると、アスランに声を掛けた。
アスランもユウキの方に体を向けると、躊躇いがちに言う。
「あ、申し訳ありません。……ニコルの様態が気になった物で……」
「知りたいのか?」
「……はい。ニコル……いえ、私は隊の全員に迷惑を掛けてしまいましたから……」
「……全員の様態を私が知ってると思うのか?」
「……いいえ」
当たり前だが、艦隊の司令官が全員の事まで知る訳がない。ユウキはアスランに対して、少し呆れた表情で言った。
アスランもそれは分かっていたが、自分の行動が原因で怪我を負ったニコルの様態を気にかけていた。
ユウキは、アスランの表情がいかにも心配している様だったのを見て、息を吐くと腰に手を当てながら答える。
「……ニコルは呼ぶつもりでいたからな……。いいだろう、教えておく。顔に裂傷を負ったそうだ」
「――ニコルは大丈夫なんですか!?」
「命に別状はない。貴様の独断行動で迷惑を被ったのはニコルだけでは無いのだぞ。肝に銘じておけ」
「……はい。ご迷惑をお掛けしました。失礼します!」
アスランは神妙な表情で頭を下げると、踵を返して部屋を出て行った。
ユウキは椅子に腰を下ろすと、背もたれに体を預けて疲れた表情で大きく溜息を吐く。
「ふぅ……全く……。しかし……アスラン・ザラがあの様な行動を取るとはな……。私の兵士教育が甘かった……か、クルーゼに問題が有ったと言う事なのか?何であれ、由々しき事だ……」
アスランの命令無視の原因が、婚約者であるラクス・クラインにあると思っているユウキは、人間としては分からないでも無いと少しだけ同情をするが、しかし、そんな個人の感情のみで動かれては堪った物では無い。
自分自身、その様に教育した憶えも無い為、自分が指導が甘かったのかと反省をしながらも、軍のあり方を考えた。
ユウキはコンピュータの端末を立ち上げると、緊急報告用の書類を作り始めた。
アークエンジェルの医務室では、アムロとムウが気を失ったキラに出来うる限りの治療を施し終えていた。
キラは、未だ苦しそうな表情でベッドに体を横たえ、その傍ではラクスが椅子に座り、心配そうな表情で見つめながら、寝ている少年の名を呟いた。
「……キラ……」
ラクスは、アムロとムウがキラに治療を施している間、何も出来ずにただ見守る事しか出来なかった。
アムロはタオルで手を拭くと、寝ているキラから、額を拭うムウへと視線を移した。
「――俺達に出来るのは、ここまでか……。後は水分を多く取らせるしかないな」
「――ふぅ。きっと、熱中症みたいなもんだろ?体を冷やすのが一番だしな。あれだけの熱に当てられて、脱水症状と発熱だけで済んだんだ、運が良い方だぜ」
「ああ。恐らく、大気圏突入の操作手順を踏む暇さえ無かったんだろう」
「ちゃんとした医者がいりゃいいんだが、それすら今のアークエンジェルには居ないからな……ったく」
ムウの吐く言葉は事実で、今のアークエンジェルには軍医すら乗っていない。その為、キラに施せる治療は、熱を下げる為の投薬と医療マニュアルに書いてあった分かりうる限りの対処法でしかなかった。
アムロはタオルを使用済みを示すダストボックスへと放り込むと、眉を寄せながら口を開く。
「キラはこれだけで済んだがいいが、これから先、怪我人が出れば、とんでも無い事になるぞ」
「だよな……。せめて、軍医くらい補給と一緒に入れろってんだよ!まぁ、済んじまった事言っても仕方ないけどさ」
「……こうしていても仕方がない。俺達は着替えて来るが、ラクス・クライン、キラを任せてしまって構わないか?」
ムウは頭を掻き毟ると、お手上げだとばかりに両手を上げた。
アムロも現状を嘆いても仕方ないとばかりに、ムウへと頷くと、ラクスに声を掛けた。
「――あ、はい!」
「お姫さん、ブリッジの方にはキラの事を伝えておいた。あと、禁止区域に入ったのは黙っといたから、安心して構わない。何か聞かれたら、俺が指示したとか言っとけばいいから。んじゃ、キラの事、頼んだぜ」
「はい、ありがとうございます」
ムウの言葉にラクスは頭を下げると、すぐにキラへと視線を向ける。
アムロとムウは、寝ているキラと、それを見守るラクスに一度だけ目線を向けると、そのまま医務室を出て行った。
ラクスは、キラの顔に浮かんだ汗を優しくタオルを当て拭いて行く。
「……ハァ……ハァ……うああぁ…うぅぅ………」
「……もう、戦いは終わったのです……早く良くなってください……」
「……うっぅぅ……ぼ……くじゃ……ア……スラ……ンには……てな……」
「――えっ!?」
「……ハァハァ……」
「……どうして、キラが……?」
ラクスはキラの口から婚約者であるアスランの名が出て来たのに驚く。しかし、もしかしたら違うアスランと言う人なのかもしれない。
戸惑いを憶えつつも、キラの看病に集中しようするラクスは、キラの手に自らの手を重ね合わせた。
無意識なのだろう、寝ているキラは重ね合ったラクスの手を握ると、苦しそうな息を吐きながらも、その表情は譫言を漏らしている時とは比べ様の無いくらい、穏やかな物だった。
そうしていると、空気の抜ける音と共に医務室の扉が開き、ミリアリアとトールが顔を覗かせた。
「あれ、ラクス?」
「……ミリアリア……」
「どうして、ここに?」
「えーっとですね、フラガ大尉とアムロ大尉にキラ事を看病をするようにと……」
ミリアリアと共に医務室に入って来たトールが、ラクスに声を掛けた。
ラクスは、ムウに言われた事を思い出し、空いている手を頬に当てながら答えると、ミリアリアは、キラの手を握るラクスを見ながら頷く。
「……そうなんだ。それで、キラの様子はどうなの?」
「はい……今は、熱を出して寝ています」
「少し苦しそうだな……」
「……脱水症状が酷いらしいです」
トールはキラの顔を覗き込むと、心配そうな表情を見せる。すると、ラクスは呟く様に病状を口にした。
ミリアリアはキラを見詰めながらも、眉を顰めて口を開いた。
「……モビルスーツで大気圏突入しちゃって、アークエンジェルが助けなかったら、今頃、死んでたかもしれないんだもんね……」
「……そうだな」
「……あの、どうしてキラはモビルスーツで大気圏突入なんて無理な事を……?」
ラクスはミリアリアの話を聞き、キラが何故、そこまでしなければならなかったのかと驚きをながら二人を見詰めた。
トールは少し苦い表情を浮かべると、壁に背中を預け、どうしてそうなったのかをラクスに話し始めた。
「帰艦の時にイージスに絡まれてさ、盾代わりに成ってた補給艦の爆発に巻き込まれて、そのまま大気圏に突入したんだ」
「……キラ……怖かったでしょうね……」
ラクスはイージスにアスランが乗っている事など知るはずも無い。戦争だから仕方ないとは言え、キラが体験した事を想像すれば恐ろしい目に遭った事を容易に想像出来た。ラクスの握る白い手に少しだけ力が篭る。
ミリアリアが、躊躇いがちにトールへと顔を向けた。
「……ねえ、トール」
「ミリアリア、なに?」
「……やっぱり、パイロット辞めて……危ないよ……」
「……パイロット?ですの?」
「ああ、俺、正式にモビルアーマーのパイロット要員になったんだ。今はまだ、フラガ少佐の許可が無いから乗れないんだけどさ。だから、こうしてブリッジ追い出されて、ここに来てるのさ」
ミリアリアからトールへと向けられた言葉を耳にしたラクスが、きょとんとした表情で小首を傾げた。
トールは少し恥ずかしそうにしながら、頭を掻きながらラクスに答えると、今度は真面目な表情でミリアリアへと顔を向けて言う。
「……ミリアリア、ゴメン。それだけは、ミリィのお願いでも聞けない……」
「……どうしてよ……。……うっ……キラがこんな目に遭ってるのに……トールの馬鹿!」
「ミリアリア!」
トールの言葉を聞いたミリアリアは俯いて涙を溜め、怒鳴り声を上げると走って医務室を出て行った。
それを見たトールは、慌ててミリアリアの名を呼ぶが、戻って来る事は無かった。
「……きっと、ミリアリアは不安なんです。だから、追いかけてあげてください。キラは私が見ていますから……」
「……うん、ありがとう。キラの事、頼むよ」
ただ呆然と立ち尽くすトールに、ラクスはキラの手を握ったまま優しく声を掛けた。
トールはラクスの声に我を思い出し、頷いてミリアリアを追う為に医務室を飛び出して行った。
二人だけになった医務室には、寝息が聞こえていた。
ラクスはキラが握る自分の手に空いていた手を添えて優しく包み込む。そして、優しくも温かな歌声が静かに流れるのだった。
ナタルは片手に地球軍の身分証明書、IDカード等一式を携え、パイロットルームの扉の前に立っていた。
未だアークエンジェルは降下中にも関わらず、ブリッジを離れてここまで来なければ成らない理由は、その手に持っている物をアムロに渡す為だった。
ナタルは扉を開く為にスイッチを押すと、空気が抜ける音と共に扉が横へとスライドする。
「失礼しま――!」
開いた扉の向こう側には、シャワーを浴びた直後なのか、水滴が体に付いた裸の状態のムウとアムロが着替えをしようとしている所だった。
男性の裸に免疫が無いのか、ナタルは口をパクパクさせながら顔を赤らめる。それはまるで水面で酸素を吸う金魚の様にも見えた。
「ん、なんだ?……男の裸、覗きに来たのか?」
「――ち、違います!し、失礼しましたっ!」
ムウが開いた扉に目を向けると、茶化す様な口調でニヤリと笑う。それを見たナタルは、我に返ると慌てながらスイッチを押して、扉を閉じた。
シャワーを浴びる為に裸を晒す事は当たり前で有る訳で、ましてや軍隊ならば共同生活を強いられるのだから、この様な状況での羞恥心などは無いに等しい。
そう言う意味では、ナタルの男性への免疫の無さは驚きに値する。
アムロはムウに向かって苦笑いを浮かべる。
「……ムウ、茶化す事は無いんじゃないか?」
「いやぁ、ハッハハ!それにしても、うちの副長さんは男にえらく免疫が無い様子だな、ありゃ」
「まぁ、だとしても彼女も大人なんだ、男の裸の一つや二つ、見た経験があるだろう」
「だとしても、あの様子だからなぁ?そう言うアムロはどうなのさ?向こうじゃ、エースだったんだろ?かなりモテたんじゃないか?」
「それは、それなりに。としか、答えようが無いな。ムウはどうなんだ?」
「俺か?……んー、俺はこう見えても結構、純情なんだぜ!なーんっつてな!」
「それなら、俺もムウを見習わせてもらおう」
戦闘も終わり緊張が解けた事で、アムロとムウは冗談も含めながらも、いかにも男性らしい会話に花を咲かせる。
そうしていると、扉からノックをする音とナタルの声が聞こえた。
「……あ、あのぉ、着替えは終わりましたでしょうか……?」
「おっと!流石に待たせるのは不味いな。ちょっと待っててくれ!何言われるか分からんし、着替えちまおうぜ」
「そうだな」
ムウが笑いを浮かべながら言うと、アムロは頷き、すぐに二人は着替えを始めた。
着替え自体は、そう時間が掛かる訳でも無く、二、三分程で終えると、ムウが扉のスイッチを押し、外で待つナタルを中へ入る様にと促す。
「お待たせしました。さあ、どうぞどうぞ!」
「……し、失礼します……。先程は……失礼しました……」
「いや、気にする程の事でも無いさ」
顔を赤らめ、俯き加減にパイロットルームに足を踏み入れたナタルは、男性二人の顔をチラチラと見ながら見ながら、恥ずかしそうに扉を開けてしまった事を謝ると、アムロは首を横に振って答えた。
アークエンジェルが地上に向けて降下中にも関わらず、副長がここに赴く事を疑問に思ったムウがナタルに問いかけた。
「それで、一体、こんなとこに何の用だ?」
「あ、はい。アムロ大尉にこれをお渡しする為です」
「もう出来たのか。早いな」
ナタルは思い出したかの様に手に持っていた、アムロの身分証一式を差し出した。
アムロはこんなに早く手元に届くとは思わなかったのか、対応の早さに驚きながらも、ナタルから身分証一式を受け取った。
そして、ナタルはアムロの疑問に答えるかの様に頷く。
「ええ。私とハルバートン閣下の話を耳にした者達がアムロ大尉が何者なのかと言い出しまして……。それで、艦長が早急に作る様にと……。状況が状況と言え、私も迂闊でした……」
「ハルバートン准将との接見前に、そんな事を言ってたな……。済まない、迷惑を掛けた」
「いいえ!そんな事はありません」
アムロは戦闘の合間を見て行われたナタルとの通信での遣り取りを思い出し、彼女や動いてくれなければ、今、こうして居られる事も無かったかもしれない。
感謝と苦労を掛けた礼を込めて、アムロはナタルに頭を下げた。
ナタルは、アムロ自分に頭を下げるのを見て慌てた様に首を振って応えながらも、彼の役に立てた事が嬉しいのか、少し頬を緩ませた。
その遣り取りを見ていたムウが、アムロの事を疑った者達に呆れたのか、まだ完全に乾き切らない髪をタオルで拭きながら言う。
「しっかし、ここまで一緒にやって来たってのに、何、疑ってんだかな……」
「だが、冷静に考えて見れば、疑問を持っても仕方がないさ。それで乗組員達にはどんな言い訳を?」
「一応、モルゲンレーテから派遣と言う形で、極秘裏な協定により正規の地球連合軍大尉扱いとなっていると言ってあります」
「分かった。ハルバートン准将からも、地球連合の軍人を名乗る事の許可を貰っているから、何とか成るだろう」
「なら、問題無いな。なんか言ったら俺が黙らせるさ。まぁ、階級なんて下に言う事利かせる為に有る様なもんだからな」
ハルバートン自ら、アムロに許可を与えた事を知ると、ムウは納得しながら頷いて、タオルを籠へと投げた。
ナタルは投げられたタオルを目で追いながら、話を続ける為に口を開くと、タオルは籠の中へと見事に納まった。
「それでですが、アムロ大尉と一部の現地徴用の少年達を除き、各員、一階級が上がる事となりました。キラ・ヤマト、トール・ケーニヒはパイロットとして少尉に。フラガ大尉は少佐となります」
「おめでとう、フラガ少佐。これで俺は、ため口は言えなくなるな」
「ありがとう。だけど今の状態じゃ、あんま意味なんて無いさ。今まで通りで構わない」
「分かった。宜しく頼む」
「ああ、また頼りにさせてもらうぜ」
「バジルール中尉、おめでとう」
「――は!ありがとうございます!引き続き、宜しくお願いします」
「俺こそ、迷惑を掛けてばかりだが、宜しく頼む」
ムウとナタルは、アムロから昇任を祝う言葉を貰うと、それぞれに握手と言葉を交わした。
それが終わるとムウは、トールが突然少尉扱いになっている事を疑問に思い、ナタルに質問する。
「しかし、実戦に出てるキラが少尉なのは分かるが、何で実戦に出てないトールまで?」
「艦長がお決めになられました。ケーニヒ少尉のブリッジ要員としての任は解いてあります」
「要は、訓練に集中させて育てろと言う事か?」
「はい。それに、余った機体を遊ばせるだけの余裕は本艦にはありません」
「まぁ、あいつの面倒は俺が見るしかないもんな……。了解した」
説明を聞いたアムロは腕組みをして聞き返すと、ナタルは頷いて答えた。
それを聞いたムウは、仕方ないとばかりに首の後をさすりながら言うと納得したのか頷く。
「それでヤマト少尉の様態とストライクの被害は?」
「キラなら熱を出して寝ている。あの様子だと、今日明日は起き上がるのも厳しいだろう。ストライクは左腕を損傷している。詳しくはマードックに聞いた方が早い」
「それなら格納庫行かないか?新型のマニュアルも見ておきたいからさ」
ナタルはムウが頷くのを確認すると、今度は二人に質問をして来た。
その問いに、アムロは少し苦い表情をしながら答えると、ムウが提案をしてきた。
アムロとナタルは頷くと、三人はパイロットルームを後にして格納庫へと向かった。
プラント本国の軍関係者達は、作戦の成功の報を待ちわびていた。たまに送られて来る細切れの報告のみを信じて、迂闊に発表などは出来ないからだ。
地球軍プトレマイオス基地への奇襲の事を知らないメディアの人間達は、どこで嗅ぎ付けたのか不思議な位に、軍本部施設前や建物内の報道ブースで、その発表を待っている状態だった。
その軍本部施設の一室――、パトリック・ザラの執務室では灯りは殆ど落とされ、静寂と闇が支配している。部屋の主は目を閉じ、各艦隊からの報告を待っていた。
突然、扉が開き静寂を打ち破って、一人の士官が部屋へと入って来た。
パトリックは、ゆっくりと目を開くと、椅子に預けていた体を起こした。
「失礼します!各艦隊とも作戦を成功させた模様です。これが地球軍プトレマイオス基地攻撃艦隊指揮官ラウ・ル・クルーゼ隊長、地球衛星軌道迎撃艦隊指揮官レイ・ユウキ隊長よりの通信での報告を纏めましたレポートです」
「うむ、ご苦労。下がれ」
「――は!」
パトリックは、レポートの束を受け取ると士官を下がらせ、冷めた珈琲を軽く流し込んだ。そして、部屋の灯りを点す為にスイッチを押すと、部屋は瞬く間に明るくなった。
背を椅子に再び預けながらパトリックはレポートを捲った。
作戦自体の流れは、逐一未確認ながら情報が流れて来ていた為、半ば成功したであろうと言う確信があった。
「……ほう。これだけやれたのならば、十分だ。クルーゼめ、株を上げよったな」
クルーゼからの報告には、地球軍プトレマイオス基地、奇襲成功の報と、プトレマイオス基地の被害状況等が記されていた。
内容的にはプトレマイオス基地内ドック破壊、迎撃火器の破壊について記されているが、いずれもパトリックを満足させるだけの戦果と言えた。
これだけやれれば、プラントはまだ戦えると確信し、読み進める内に、パトリックの表情は穏やかに緩んで行く。
「ん、勲章の申請……だと?イザーク・ジュール……、エザリア・ジュールの小倅か」
パトリックはクルーゼからの勲章申請に目が止まり、内容を確認して同じ評議会のメンバーであるエザリア・ジュールの顔を思い出した。
エザリアは子煩悩と言うより親馬鹿に近く見える。息子を褒め称えると言う飴を与えれば、印象は自分への印象は強くなる。
エザリアの子供であるイザークは、報告の内容を見れば、奪取した新型を壊してこそいるが、それに見合うだけの働きをしていた。
それだけに、勲章を与えて評議会のメンバーとして、更に関係を強固な物にしておくのも悪くないと考えた。
そうして、パトリックは再びレポートを捲り始めた。
「ユウキは敵艦隊の全滅までは出来なかったか。しかし、確実に成功はさせるか。実に実直な男だ」
ユウキからの報告を目にし、その作戦にも性格が現れているのを可笑しく思った。
その内容には、敵である地球連合軍第八艦隊の被害状況、そして、突然現れたアークエンジェルの記述が記されていた。周辺艦隊を臨時編成して戦闘を行ったのだから、内容的には上々と言えた。
流石にその手腕は特務隊FAITHの隊長を務める者だと関心させられる。
「……何だ、これは?」
読み進めているとレポートに挟まれた封書に気づき、パトリックは目を細めた。
封書を開封し中を確かめると、パトリックの表情は瞬き間に険しい物となり、手にしている紙が折れ曲がる。
「……命令違反だと!?……あの馬鹿は自分が誰の子か、全く分かっておらんのか!頼にも因って親の顔に泥を塗るとは、この親不孝者が!」
パトリックは怒りを抑え切れず、怒鳴り声を上げ、肩を震わせた。
封書の内容は息子であるアスランが戦場で命令無視し、多数の死傷者を出してした事が記されていた。
アスランの命令無視に因って負傷した者のリストの中には、同じ評議会メンバーのユーリ・アマルフィの息子であるニコルの名も連ねてある。
封書は秘密文書になっているが、実直なユウキがそんな指示をするとは思えず、本部付きの自分の部下が秘密文書にする様に指示を出したのだろう。
「……これではプラントの英雄に成るべき者としての自覚が足らん。どの道、戦意高揚の為には英雄が必要ではあるか……仕方あるまい」
エザリアの息子と比べると、アスランの行動は余りにも情けなく、親の期待を裏切る物だった。
本来ならば、アスランがそれなりに活躍したとあらば、ラクス・クラインの事を含め、英雄に仕立て上げるつもりでいたが、今回は仕方は無いが、エザリアの息子であるイザークに立たせる他無かった。
パトリックは怒りを治める為に、再び冷めた珈琲を流し込むと、手に持った紙を握り潰す。そして、士官を呼ぶために呼び出しボタンを押した。
「――お呼びでしょうか?」
士官は部屋の外で待機していたのか、驚くほどの早さで部屋へと入って来た。
パトリックは握りつぶした紙を大きなデスクの前へと転がし、険しい表情で口を開く。
「……この報告は私は見てはいない、受け取ってもおらん。分かるな?」
「――は?」
「――その報告を私は、見ても受け取ってもおらんと言っている!二度も言わせるな、内々に処理しておけ!それから、アスラン・ザラが戻り次第、出頭する様に伝えろ!いいな?」
「――は!りょ、了解しました!至急、処理します!」
士官が間抜けな声で聞き返すと、パトリックは顔を鬼の様にしながら怒鳴り声を上げた。
怒鳴られた士官は慌てて紙を拾うと、敬礼をして部屋から逃げる様に出て行った。
「……全く……言って分からぬのでは意味が無いではないか。しかし、この機を逃すのは得策では無いな……。少しは父親の苦労も分かって欲しい物だ」
パトリックは、士官と自分の息子であるアスランを皮肉る様に呟いた。
アスランにはプラントの英雄としての役目があるのだ。こんな事で経歴に傷を付ける訳にはいかない。その為には、権力に物を言わせ握り潰してしまえば良いのだ。
パトリックはこの後、アスランの行動に因って負傷したニコルの父であるユーリ・アマルフィを自分の陣営に取り込む為にどうすれば良いのかと考え始めた。
アークエンジェルの格納庫へと足を向けたアムロ、ムウ、ナタルの三人は、スカイグラスパーが置いてあるあたりが騒がしいのに気付く。
ストライクの足元で困った顔をしているマードックの元へと向かうと、当のマードックもやって来た三人に気付いたのか、頭を掻きむしりながら声を掛けた来た。
「大尉さん達、いい所に来てくれました」
「どうした?」
「いや、何があったか知らねえけど、あのお嬢ちゃんが泣きながら、新型……スカイグラスパーをね……」
アムロが聞き返すと、マードックはうんざりした表情でスカイグラスパーの方を指さした。
そこには、整備兵達に因って取り押さえられたミリアリアが泣き伏す姿があった。
「……あぁ、そう言う事か……。ちょっくら行ってくるわ。バジルール中尉にストライクの損傷具合、教えてやってくれ」
ムウはそれを見て、何か思い当たる事があったのか、マードックにストライクの損傷を説明する様に言うと、ミリアリアの元へと駆けて行った。
マードックはムウの言葉を聞き、ナタルの階級が少尉だったはずだと思い、目の前に立つ二人に聞いたみた。
「中尉?少尉じゃありませんでしたっけ?」
「俺を除いて、全員、階級が上がったんだ」
「へえ。でも、こんな所で給料上がった所で、金も使えないんじゃ意味ねえや」
「それは良いとして、ストライクの現状を」
アムロは疑問に答えると、マードックからすれば、無意味な昇任と思えたのだろう。皮肉るかの様に目線を外してストライクへと目を向けた。
ナタルは見上げるストライクの損傷内容を聞く為に、マードックの言葉を聞き流して、報告をするように促した。
「へいへい。見ての通り、やられた左腕の肘関節部を交換する修理が主です。ヘリオポリスからの持ってきたのと、補給で入ったパーツを合わせれば問題は無いですが……」
「……何か問題でも?」
「ええ、補給で受けたパーツは全部バラの状態で、左腕は一から組み上げねえとならねえから、一日二日じゃ修理は無理ですよ。それから、νガンダムですが……」
「νガンダムも問題が?」
「……交換が利かないから消耗は仕方ないですが、問題はエンジンの方で」
「エンジンだと?問題でも発生したか?」
目の前の二人の遣り取りを聞いていたアムロは、その内容に眉を顰めてマードックに問いかけた。
マードックは頷くと、自分の回りにいる整備兵達を追い払ってから、ナタルへと顔を向ける。
「お忘れですか?νガンダムが何で動いてるか」
「――あ!……Nジャマーが利いてる地上では……」
「恐らくエンジンは停止しますよ」
「……一体、どう言う事だ?」
ナタルはマードックの言葉で思い出したかの様に息を飲んで呟く。それを遮る様に再びマードックが完結に起こりうる結果を口にした。
今のアークエンジェルからすれば、νガンダムが出撃出来ないと言う事は、大幅な戦力ダウンを示している。
ストライクは片腕を失い、ここ数日では修理は終わらないのは明白なのだ。もしも、その間に攻撃を受ければ、アークエンジェルは簡単に落とされてしまうだろう。
この世界の事には詳しくないアムロは疑問の声を口にすると、ナタルは苦々しい表情を浮かべながら事情を知らないアムロへと説明を始める。
「今まで、地球に降りる事を想定してませんでしたから気にも留めて無かったのですが、地球にはザフトに因って多くのニュートロンジャマーが投下され、核分裂が抑制されている状態なのです」
「要はνガンダムは動けなくなるって事です。アークエンジェルみたいにデカいのなら核融合炉型エンジンだし問題は無いが、このクラスのモビルスーツが積み込めるって言ったら、良いとこ核分裂型エンジンでしょ?」
ナタルの説明がまどろっこしいのか、マードックは完結に内容を伝えると、νガンダムのエンジンが核分裂型だろうと言う自分の推論が正しいのかアムロに聞いて来た。
二人の説明を聞いたアムロは頭の中を整理するとνガンダムについて、最初の頃にした自分の説明が不十分だったのかと思いながら、少し困った顔をして言う。
「……いや、νガンダムは融合炉エンジンなんだが……言って無かったか?」
「「――えっ!?」」
「……どうしたんだ、二人とも?」
アムロの言葉を聞いたナタルとマードックは絶句しながらνガンダムをマジマジと見詰めた。
二人の余りの驚きように、驚いたのはアムロの方だった。
「……いや、聞いてませんて!それにしても……マジ……ですかい?あの大きさで融合炉を?」
マードックは、まるで機械人形の様な動きでゆっくりとアムロの方に顔を向けると、νガンダムを指さして聞いて来た。
「ああ、そうだが」
「……何て技術を有した機体なんだ……」
アムロが頷くと、ナタルは驚愕の表情でνガンダムを見上げた。
ナタルの言葉を耳にしたアムロは、首をさすりながら正直な感想を漏らす。
「俺からすれば、バッテリーで動いてPS装甲なんて代物が有る、この世界の方が凄いと思うが……」
「……世界の技術進歩の違いと言う事なんですかね……?」
「かもしれないな」
ナタルはアムロに顔を向けると、頭の中で思った事を素直に言った。
アムロはナタルの言った事も可能性として有り得ると受け止めながら頷いた。
「何にしても、νガンダムの方は最大の問題は解決か……。設備と人員と時間がちゃんと有るなら、一度バラしてみてえなぁ……」
マードックが安心したように肩を撫で下ろすと、メカニックマンとしての素直な思いを口にした。
きっとそれはマードックだけでは無いだろう。この世界のメカニックマンからすれば、νガンダムと言う機体は、余りにも魅力が有りすぎるブラックボックスなのだ。
整備兵達に因って取り押さえられたミリアリアは、両膝を床に着け、俯いたまま涙を流していた。
アムロ達から離れたムウは、ミリアリアが何をしたのかと疑問に思いながら整備兵達に声を掛けた。
「おい、俺が話し聞くから退いててくれるか?」
「あ、はい」
整備兵達は頷くと、その場を離れて行った。
ムウはミリアリアを見下ろすと、その手に血が滲んでいるのに気付き、呆れた表情で口を開いた。
「……人の手で殴ったとこで鉄の塊が壊せる訳ないだろ。一体、何やってんだよ、全くさ」
「……ごめんなさい……。でも、キラがあんな目に遭って、トールが本当にモビルアーマーに乗るって決まって、辞めてって言ってもトールは聞いてくれなくて……」
「だから、これが無くなればと思ったのか?」
「……はい」
ミリアリアは俯いたまま頷いた。
ムウは「やっぱりな」と、聞こえない様に呟き、真剣な表情を見せた。
「だがな、これが無けりゃ、船を守れんのは分かってるだろ?それに、あいつは自分から志願して来たんだ。気持ちは分からんでも無いが、宇宙に居た時と状況も違う。こっちとしては断る理由も無い」
「じゃあ、トールが戦って死んじゃってもいいって言うんですか!?」
ミリアリアは思いやりも無い言葉に怒りを覚え、ムウを睨みつけた。
しかし、ムウは、それでも厳しい言葉を止める事は無かった。
「……悪いがな、あいつがもし戦って死んじまったとしても、それはあいつの運が無かったって事だ。俺にしてやれるのは、そう成らない為にきっちりと育て上げる位だ。
俺もアムロもキラも……、直接戦って無い奴だって、必死に戦って生き残ろうとしてる。それはお前もそうだろ?」
「……だけど!」
「何回か話し合ってんだろ?トールは、お前に何て言った?」
「えっ!?……えっと、キラを助けてあげたい……あと、守りたい物があるって……。それから、一緒に生きて帰ろうって……」
ミリアリアはトールの言った言葉を、一つ一つ確認するかの様に口していった。
するとムウは、穏やかな顔つきでミリアリアの目線に合わせる様にして腰を落としてた。
「こっ恥ずかしい台詞吐いちまってな……。でもな、守る物が有る奴は強くなるぜ。あいつの言葉を信用するかは、お前次第だが、自分の男が何かを守ろうと決めたんだ。少しは見守ってやってもいいんじゃないか?」
「でも、それで死んじゃったら……」
「そう成らない為に俺が戦い方を教える。絶対とは言い切れんが、やられない様にフォローもする。見込みが無いなら、とっとと下ろすしな。教官がエンディミオンの鷹じゃ不満か?」
ミリアリアはどう答えて良いのか分からず、俯きながら首を振った。
ムウも、これ以上は説得するのは諦めたのか、疲れた様子で立ち上がった。
「まぁ、嫌だと言っても、本人が乗る気で居る訳だし、俺としては乗せない訳にはいかんのよ、諦めてくれ。その分の努力はこっちもすっからさ」
立ち上がったムウは格納庫に入って来たトールを見ながらミリアリアに言った。
それは、今のミリアリアにトールの行動を左右する権利は無いと言われた様な物だった。
ミリアリアは俯くとその瞳に涙を滲ませる。
今までの事など知らないトールは、息を切らしながらミリアリアの前までやって来た。
「――ハァハァ……ミリアリア……ハァハァ……こんなとこに居たのか……ハァハァ……」
「……トール」
「おせーぞ!自分の女の場所くらい、直感で当てろよ!」
「……ハァハァ……済みません」
「それよりも、早く医務室へ連れてってやれ。……トール、まだ疲れてないだろうな?」
「ええ、元気です!」
トールは頷いて、いかにも元気だと言わんばかりの表情を見せた。
ムウは表情を引き締め、背後に有るスカイグラスパーを親指で指しながら低い声で言う。
「スカイグラスパー二号機は、今日からお前の機体だ。こっちとしても簡単に落とされちゃ堪らんし、俺はお前の彼女の恨みを買いたくないからな。医務室に届けたら戻って来い。今から訓練を再開する」
「分かりました!宜しくお願いします!」
真剣な表情で言うムウを見て、トールは、自分が本当の意味でモビルアーマー乗りになる為の訓練が始まる事を感じ、思い切り背筋を伸ばして敬礼をした。
そして、ミリアリアの手を取り、医務室へと歩いて行く。
ムウは二人を見送ると、スカイグラスパーへと歩み寄り、「頼むぜ」と言って機体を撫でる。そして、踵を返し、アムロ達の元へと歩いて行った。