プラントでは、クルーゼ、ユウキ両艦隊に因り行われた地球軍への攻撃作戦の報は未だに発表されてはいなかった。何故なら、軍上層部はクルーゼ艦隊の攻撃が失敗した場合、ラクス・クラインの弔い合戦で敗退した事と成り、面目が立たないと言う理由があった為だった。
それならば、名目上公表されているユウキ艦隊の戦果を発表すれば良いかと言えば、そう言う訳にも行かない。間もなく帰還するユウキ艦隊が残した戦果は、内容的には余りにも地味な物で、それだけ見てしまえば民衆は不甲斐ないと受け取る可能性が高かったからだった。
しかし、今作戦の目玉であるクルーゼ艦隊が地球軍月基地奇襲を成功させた事で、軍部の威信は保たれる事となった。
クルーゼ艦隊も、ユウキ艦隊と時間を置かずして帰還すると言う事で、内容の公表は各艦隊が帰還し、報告が纏まった時点でパトリック・ザラ自ら発表する予定となっている。
その中、ザフト軍に入隊している家族を持つ評議会議員達には、既に軍部から各員の安否の報が届けられていた。
評議会メンバーの一人、ユーリ・アマルフィは、自分のオフィスで息子である、ニコルの負傷を耳にし、すぐに自宅に居る妻のロミナに電話を入れていた。
「……ロミナ、落ち着いて聞いてくれ」
「はい……どうしたのです、そんなに慌てて……?――も、もしかしてニコルが……?」
「落ち着くんだ、ロミナ!ニコルは死んだ訳じゃない!私も聞いた話なので詳しく分からないが、負傷したらしい。命に別状は無い」
「……あぁ、ニコル……」
ロミナはユーリの言葉に青ざめながら、その手に持った受話器を落として泣き伏した。
その様子を見ていたフレイが慌てた様に駆け寄ると、肩を震わせて泣くロミナの肩を抱くようにして声を掛ける。
「……おば様?……どうしたんですか!?」
「……ニコルが……うっぅぅ……」
「……もしもし……あのニコルに……何かあったんですか?」
涙を零すロミナの言葉を聞いたフレイの表情は一瞬にして青ざめ、震える手で床に落ちている受話器を拾うと、言葉を区切るようにして声を出した。
電話の向こう側に居るユーリは、フレイが出た事に少し驚きながらも、慎重に言葉を選びながら、ゆっくりと事の内容を伝える。
「……フレイか?……ニコルが負傷したらしい。済まないが、ロミナに付いていて貰えるか?」
「はい!それでニコルの様態は?」
「命に別状は無いと聞いている。裂傷を負ったそうだが、後遺症も残る心配は無いらしい。……間も無くニコルを乗せた艦が帰って来る。少ししたら、軍病院の方にロミナを連れて向かって貰いたいのだが、良いかな?」
「はい!……それでおじ様は……?」
「私も飛んで行きたいのだが、そうもして居られなくてな……。済まないが、宜しく頼めるかな?」
「分かりました!」
落ち着き払ったユーリの声を聞き、フレイは、ゆっくりと頷いてから電話を切った。
泣き続けるロミナに家政婦が声を掛けて慰めていると、フレイはロミナの前で腰を屈めて、優しく声を掛けた。
「……おば様、もうすぐニコルを乗せた船が戻るそうです……。私達も……病院に向かいましょう……」
「……奥様、ニコル様が戻って来られます。……早く病院へお向かいください。お嬢様、ニコル様のお怪我は……?」
「……怪我はしてるみたいですけれど、後遺症とか残る心配は無いって、おじ様は言ってました」
ロミナに優しく声を掛ける家政婦は、フレイにニコルの怪我の具合を聞いてきた。
フレイは、一瞬、家政婦に視線を向けが、すぐにロミナへと戻し、思いの他しっかりした口調で答えた。
家政婦は安堵した表情を浮かべると、ロミナに優しく語り掛ける。
「……奥様、お聞きになりましたか?……ニコル様はお怪我はしておりますが、ご無事なご様子です。早くお逢いになってあげてくださいまし。お喜びになられますよ」
「……うっぅ……そ、そうね……ニコルが待っているのですものね……」
「お嬢様、私はお車の手配をしてまいります。奥様を宜しくお願いします」
ロミナが涙を拭うのを確認すると、家政婦は部屋を出て行った。
フレイはロミナをソファへと座らせると、彼女の為に紅茶を注ぎ、迎えの車が来るのを待つのだった。
キラは目を閉じた暗闇の中で体の節々に少しだが痛みを感じていた。特にお腹の辺りが重たく、自由が利かない。だけど、誰かが手を握っているのか、右手が温かく感じた。
――トリィ。
幼少期にアスランから貰ったロボット鳥、トリィの声が聞こえた様な気がして、少しだけ目を開けてみようと思った。
ゆっくりと目を開けると光が差し込み、キラは目を細めた。
「トリィ!トリィ!」
「トリィ……」
「……うぅん……トリィ、なんかお腹の辺りが……妙に重たいんだけど……」
キラは耳の傍で鳴く声がトリィの物だと分かり、顔をゆっくりと向けると、トリィは小首を傾げるた。
お腹の辺りに変な重みを感じたキラは、トリィに尋ねるが、人の言葉を話す事の出来ないトリィは、何回も不思議そうに小首を動かすだけだった。
キラは仕方なく自分のお腹の辺りを見ようとして、首を動かした。自然と少しだけ上体が動く。
「……うぅん……」
「……ラ、ラクス!?……うっ!」
自分のお腹に淡いピンク色の髪の女性の後頭部があった。正確には、彼女はキラのお腹を枕代わりに突っ伏したまま寝ているのだと思われる。
キラには、その女性がラクスだとすぐに判断出来た。慌てて上半身を起こそうとするが、関節に痛みが走り、そのままベッドに背中を預ける事となった。
「……ふぅ。なんでラクスが?……それに、ここって……?」
キラは仕方なく息を吐くと、何故ラクスが居るのかと思いながら、天井を見詰めた。そして、首と目と駆使して、何所なのかを確かめる。
それは前にも見た事のある部屋の造りで、今、自分が寝ている場所が医務室である事を知った。
そうしていると、お腹の辺りがモゾモゾと動き始めた。
「……ふぁ……んぅ……キラ……?」
「……お、おはよう……ラクス……」
突っ伏したままの状態でラクスは顔をキラの方へと向けた。その顔は、とても無防備で、キラの心臓を瞬間的に高鳴らせた。
キラは顔を赤らめたまま、ラクスにぎこちなく挨拶をした。
「……ふぅわ……ぁ……キラ……おふぁよーござぃまふぅ……」
ラクスは体をフラフラと起こすが、相当眠たそうな顔をしていた。
キラは、そんなラクスの表情をマジマジを見詰める。
当のラクスの頭の中は寝たままなのか、船を漕ぐとゆっくり前にのめり込む様にして、再びキラのお腹の辺りへと顔を沈めた。
「――うはっ!」
「……んくっ……ぅん……もぅ少しだけ……眠らせて……くださぃ……すぅ……すぅ……」
キラは、自分のお腹にラクスの顔が落ちて来た事で、肺の中の空気を吐き出したが、ラクスの寝言を聞いて、まだ寝かしておく方が良いと思った。
少しだけ首を動かし、ラクスの寝顔を覗き込む。とても愛らしく、再び心臓を高鳴らせた。そして、寝ているラクスの片手が、自分の右手を握っている事に気付く。キラは心臓を高鳴らせながらも、自然と心が暖かくなるのを感じた。
……が、キラも年頃の健全な男子な訳で、言わば生殺し状態なのに気付き、ラクスが起きるまでの時間を、キラは体を強張らせながら待たなければならなかった……。
それから、小一時間程してからラクスは目を覚ます事となり、当のラクスは両手を頬に添えながら、その愛らしい顔を真っ赤に染めていた。
「……あ、あの……わ、私、お恥ずかしい所を……み、見せてしましまして……」
「――えっ!?あ、ぼ、僕は、き、気にして無いから……。そ、それに……寝顔……可愛かったし……」
「――えっ、えっ!?キラ……今……なんて……」
キラは寝たままの体勢で、ラクスに負けず劣らず真っ赤で顔で首を振ると、目線を外して呟くくらい小さな声で答えた。
それを聞いたラクスは、驚いた様に更に顔を朱に染め、俯くと上目遣いでキラを見詰めた。
「――えっ!あ、あの――っつ!」
「――キ、キラ、大丈夫ですか?」
見詰められたキラは赤い顔のまま、体を起こそうとするが、体に鈍い痛みが走り声を上げた。
ラクスは慌ててキラに体を寄せると、片手をキラの背中に回して、ゆっくりとキラを寝かせながら言った。
「……私、キラが意識を失われてしまいました時は、取り乱して……しまいましたわ……」
「……ありがとう。もう、大丈夫だから……心配掛けちゃってゴメンね。……それでここは?」
「地球の砂漠ですわ。昨日、着きましたの」
「……そう……なんだ……」
キラは呟いて、体に鈍く走る痛みとラクスの温もりを感じ、自分が生きて帰って来た事を実感しながら目を閉じた。
そうしていると、少しだけ冷たく柔らかい感触がキラの額を触れた。
「――えっ!?」
「熱は下がった様ですね。お食事は食べられますか?」
キラは驚いて目を開けると、目の前にはラクスの顔があった。一瞬、キラは驚くが、そのまま目を閉じて安心しきった表情を見せた。
ラクスはキラの額から手を離すと安堵の表情を浮かべて聞いてきた。
「……あ、うん……何だか、生きてるって分かったら、お腹が空いてる様な気がするよ……」
キラは、ゆっくりと目を開けると少しだけ残念そうな表情をするが、すぐにラクス笑顔を見せると、体を起こしてベットを降りようした。
ラクスは微笑みながら首を振って両手でキラを止め、寝かしつけようとする。
「病み上がりなのですから、そのまま寝ていてください。私が持ってまいりますわ」
「……うん。……ありがとう、ラクス」
「はい、では行ってまいりますね。すぐに戻りますわ」
「……うん、いってらっしゃい」
ラクスはキラがベッドに体を戻すのを確認すると、微笑みながら医務室を後にする。
キラはラクスに穏やかな笑みを向け、この時間が続く事を願うのだった。
プラントへと帰還したアスランは、すぐに軍部本部より呼び出され、父であるパトリック・ザラの執務室を訪れていた。
ここに着くまで、同乗した艦のモビルスーツのパイロットには白い目を向けられたが、自分が仕出かした事を鑑みれば致し方無い事だと思っていた。
アスラン自身、厳格な父に呼び出されたかは皆目、見当が着いている。予想通り、その薄暗い執務室にパトリックの厳しい声が響く。
「アスラン、お前は一体、何をしていたのだ?」
「……申し訳ありません」
「自らプラントを背負って立つ者の自覚があるのか!?民衆が求めておるのは英雄なのだぞ!エザリアの小倅なんぞに後れを取りおって。全く、情けないにも程があるぞ!」
「……私は……いいえ。……それで、どの様な処分が下されるのでしょうか?」
パトリックが言ったエザリアの小倅――イザークの事を引き合いに出され、アスランは一瞬、戸惑うが、地球軍基地の奇襲の立役者となったイザークと今の自分を比べれば、父が自分に求めていた理想とは遠くかけ離れて居る事を実感し、襟を正す思いで背筋を伸ばした。
アスランの言葉を聞いたパトリックは眉を顰める。
「……処分だと?」
「はい。ユウキ隊長から本国にて処分を下されると……。覚悟は出来ております」
「……親の心、子知らずとは良く言った物だ……。お前も大人なのだ、親に要らぬ苦労を掛けるな。ほとぼりが冷めるまで、家で大人しくしていろ。いいな?」
パトリックは自分の息子に対し呆れた顔を見せると、厳しい口調で言った。
アスランは驚愕の表情を浮かべ、父を見詰める。
「――そ、それは……ち、父上!」
「……父上だと!?……アスラン、貴様は自分の立場が分かって無い様だな」
「――す、済みません!し、しかし、それは――」
アスランにも父の言った事がどう言う事か、皆目見当が付いた。それは軍規上あってはならない事だった。
反論を口にしようとするアスランにパトリックは怒りの表情を見せ、怒鳴り声を上げる。
「――馬鹿者が!お前には民衆の英雄と成り、ナチュラルどもを倒すと言う役目があるのを忘れるな!分かったのなら、出て行け!」
「わ、私は――」
「――言って分からぬか、この大馬鹿者が!命令だ、出て行け!」
「――!……うぅ……」
それでも尚、アスランは食い下がろうとするが、パトリックに命令と言われ、唇を噛み締め俯いた。自分の仕出かした事が原因で、理不尽な命令を受けなければ成らない自分に不甲斐なさで一杯になった。ましてや実の父が、自分の罪を権力で握り潰そうとしているのだ。
アスランは遣る瀬無さも極まり、パトリックに敬礼もせず、そのまま執務室を後にした。
「……俺は……俺は――!」
アスランは背後の扉が閉まると呪文の様に呟き、自らの拳を壁に打ち付け、涙を零した。
白い壁と窓から柔らかい光が射し込む部屋のベッドの上で、ニコルは消毒液の臭いを少し気にしていた。その鼻を衝く臭いも、普段、病院などに掛かる事が無いからこそ感じる物だった。
ニコルの姿は、顔面を包帯で覆い、母親譲りの可愛らしい顔に出来た痛々しい大きな傷を隠してした。
軍医、そして医者は口を揃えて「この程度の傷は消す事が出来る」言っていた。その言葉は、自ら傷を見る事が出来ないニコルにとっては、何よりも安堵を覚える言葉であったし、目の前で自分の為に泣く母親の姿が、それ以上の薬となって、心に余裕を与えていた。
「――母さん、お医者さんもすぐに治るって言ってましたし、傷も跡が残らないって言ってたんですから、そんな泣かないでくださいよ……」
「……でも、本当に大丈夫なの?」
「ええ、見ての通り大丈夫です。僕も軍人なんですから、怪我の一つや二つ当たり前ですよ。母さん、済みませんが家から着替えを持って来て貰えませんか?どうも病院から支給されるのだと落ち着かないので……」
「……分かったわ。準備させるから私は取りに戻るわね。フレイさん、ニコルの事をお願いね」
「はい、分かりました」
ロミナは涙をハンカチで拭いてニコルにキスをすると、フレイにこの場を任せ病室を後にした。
母親を見送ったニコルの顔を覆う包帯の下は怪我で笑う事は出来ないが、その口調は照れの混じった物となる。
「……過保護過ぎて、恥ずかしい所を見せちゃいましたね」
「ううん、そんな事無い……。私、ママが居ないから、うらやましいわ。私も、おばさまみたいなママが欲しいもの」
「ありがとうございます。自慢の母ですから、褒められると嬉しいです」
「フフフッ、怪我、早く治さないとね」
「はい。傷が残ったままだと、母さんがまた泣きそうですからね」
フレイは思ったよりもニコルが元気な事に安堵し、少しでも勇気付ける為に笑顔を向けると、ニコルは大好きな母を思い遣るかの様に頷いた。
そうして、他愛も無い話を二、三していると、病室の扉をノックする音が響いた。
「――はい、どうぞ!」
「失礼する」
「よぉ!ニコル、大丈夫か?」
「イザークにディアッカ!お見舞いに来てくれたんですか!?」
ニコルが声を掛けるとイザークとディアッカが扉を開けて入って来た。
二人が見舞いに来るとは思わなかったニコルは嬉しそうな声で二人を出迎えた。
「ああ、俺な。イザークは見舞いじゃなくて検査受けに来たんだ」
「お前な……」
「……二人とも、ありがとうございます」
ディアッカの言葉にイザークは呆れた声を出すとニコルは二人に礼を言った。
そんなニコルにイザークは首を振って言う。
「……構わん、気にするな。それよりも傷の具合はどうだ?」
「大丈夫ですよ。少し入院が必要になりますが治るそうです」
「そうか……大した事無くて良かったな」
「はい」
「それよりも、確かナチュラルだったよな?……なんでここに居るんだ?」
イザークとニコルが話している中、ディアッカはニコルに声を掛けると、椅子に座るフレイの事を顎で指して聞いて来た。
ディアッカだけではなく、イザークもフレイの事はヘリオポリス強襲の折、救命艇がヴェサリウスに運ばれた時に見ていた為、知っていた。勿論、彼女の父親の肩書きも知っている。言わば敵軍方の娘なのだから、良い気分はしなかった。
二人の表情を見たフレイは、少し脅えた様に体を強張らせて俯く。
「……フレイは僕の家で預かってるんですよ。……ディアッカ、フレイ事をそんな風に言うのは止めてください。彼女は地球軍でもブルーコスモスでも無いんです。僕とアスランの友達なんですから、そんな目で見ないでください」
「……はぁ……へいへい、分かったよ。えーっと、悪かったな」
「……あ、いいえ」
包帯の間から見えるニコルの口から、珍しく強めの言葉が出て来たのにイザークとディアッカは驚いた様だった。
ニコルが入院していると言う事もあってか、ディアッカは少しバツが悪そうに頭を掻くと、フレイに対して一応の謝罪を口にすると、フレイは謝られるとは思っていなかったのか、戸惑いながらも首を振った。
「ディアッカも悪気があって言ったんじゃ無いんです。許してあげてください」
「ううん……私、気にして無いから……」
ニコルが声を掛けると、フレイは自分を庇ってくれたのを感謝するように微笑む。
そんな二人の遣り取りを見て、ディアッカはフレイがナチュラルだと知らなければ、年相応のカップルに見えただろうし、良い雰囲気に見える。ディアッカのタイプでは無いが、フレイは女性としては綺麗な部類に入ると思った。
――お人好しのニコルがねぇ……。ま、相手は悪いが俺が文句言う事じゃねえな……。
そう思うと、ディアッカはニコルに向かってニヤリと微笑んだ。
「……そう言う事か……。空気読めないでスマン!俺は行くとこあるから帰るわ。ニコル、苦労するだろうが、まぁ、頑張れ!」
「……はぁ?」
「……えっ?」
「……ディアッカ、お前は何言ってんだ?」
「そんじゃな!早く治せよ!」
ディアッカの言葉を聞いて、その場にいた全員が「何を言っているのか」と不思議そうな顔をしたが、当の本人は気にしていない様で、とっとと病室を出て行ってしまった。
残された三人はディアッカが出て行った扉の方を見ていたが、やがてニコルが口を開いた。
「……ディアッカに物凄い勘違いをされた気がするんですが……違いますか?」
「……恐らくな……。違うのだろ?」
「ええ。そうですよね、フレイ?」
「――え!?あ、うん」
「……それだけはっきり言われると、何かへこみますね……」
「――ご、ごめん、ニコル!」
「フッ、ディアッカが勝手に勘違いしてるだけで、少し考えれば分かる事だ。気にする必要は無い」
ワザとらしくニコルが項垂れると、それを見たフレイは慌てた様にニコルに謝った。
その遣り取りが面白かったのか、イザークは少しだけ笑うとフレイに言った。
イザークの言う通り、プラントは婚姻統制を行っている為、婚約者は遺伝子的に相性の良い相手がリストアップされる。ニコルやイザークもまた然りであるが、彼らの様に親が政治的背景などを持っている者達は、相手も限定されて来る。
最も、プラントとナチュラルの融和を願うならフレイを娶るのも可笑しくは無いが、戦争状態にある現状では有り得ない話な訳でイザークの言う通りなのだ。
イザークはニコルに向き直り、真剣な顔を見せる。
「……それよりもニコル、俺は、お前に謝らなければならない事がある……」
「えっ!?……なんですか?」
ニコルは突然の事に聞き返すが、イザークはフレイが居ると話しずらいのか、中々口を開こうとしなかった。
それを察した様にフレイは立ち上がるとニコルに言った。
「私、飲み物買ってくるね。何か欲しい物ある?」
「僕はいいですよ」
「済まない、俺も必要ない」
ニコルは首を振ると同じ様にイザークも答えたが、違う事は場を察したフレイに対し、イザークは感謝の言葉を混ぜ込んでいた事だった。
フレイは頷いて病室を出て行くと、ニコルとイザークの二人だけになった。
イザークは仕切り直すかの様に、再び真剣な表情でニコルに向かって口を開いた。
「ニコル……俺は……作戦の為とは言え、ブリッツを大破させてしまった……。本当に済まん!」
「……イザーク。……でも、ブリッツは作戦を成功させて、イザークを守ったんですよね?」
「ああ、そうだ」
「……それなら、充分役目は果たしたんですし、気にしないでください。それに、僕もデュエルを壊しちゃいましたから……謝るのは僕の方ですよ」
「いや、しかしな……」
ニコルが乗っていたデュエルは壊れたとは言え、修理すれば十分戦える。出撃前にニコルに「壊すな」と告げておいて、自分がブリッツを完全にスクラップにしてしまったのだから、イザークはニコルの言い分に納得出来ずにいた。
ニコルは、いかにもイザークらしいと感じながらも、軽口を言う様に告げる。
「……お相子って事で良いじゃないですか」
「しかし、それでは俺の気が済まん。お前がデュエルを使え」
「……いいえ、お断りします。やっぱり、デュエルはイザークの方が似合いますよ。僕は専用機でも貰います。多分、ジンでしょうね。パーソナルカラー考えないといけませんね」
「それでは俺の気が済まんと言っているだろう!」
「……はぁ。……それじゃ、お願いがあります。それで手を打ちませんか?」
「……それでいいのか!?……分かった、何でも言ってくれ!」
予想通り、自分の考えを曲げる事の無いイザークに、ニコルは溜息を吐くと、少しだけ考えて交換条件を出す事にした。
イザークは驚いた顔を見せるが、それでニコルに借りが返せるならと頷いた。
ニコルの表情は包帯で見える事は無いが、イザークに向けられたその目は真剣さを感じさせた。
「……それじゃ……僕が戻るまでの間……アスランを守ってあげてください」
「……アスランをか!?どうしてだ?」
「……お願いしておいて、虫が良すぎるとは思いますが、僕からは理由は言えません。ごめんなさい……」
ニコルの頼みにイザークは戸惑って聞き返すが、当のニコルは申し訳無さそうに答えた。
病室に沈黙が訪れる。
イザークにはニコルがどうして、その様な頼みをするのか理解が出来なかった。しかし、それでニコルも自分自身も納得するのならばと思い、沈黙を打ち破るかの様に口を開いた。
「……約束だからな……分かった。アスランは癪に障る奴だが、ニコルが戻って来るまでは俺が守ってやる。それでいいんだな?」
「はい、お願いします!」
「ああ、必ず約束は守る。とにかくニコルは早く傷を治せ」
返事を聞いたニコルの声は、本当に嬉しさを滲ませていた。
イザークは真剣な表情で頷くと、「それじゃな」と声を掛けて病室を出て行った。
アークエンジェルのブリッジから見渡す景色は、四方全てに砂丘が広がる砂漠だった。
窓の差し込む日差しは肌を刺す様に強く、外の暑さを容易に想像出来たが、艦内は空調が利いている為に快適に過ごす事が出来、それは乗組員達にとっては一つの救いでもあった。
その中、モニターに写し出された地図を見詰めるアムロ、マリュー、そして地図上でアークエンジェルが置かれた状況を説明するナタルの姿があった。
「ここがアラスカ、そしてここが現在地です。見た通り、ザフト軍の勢力圏内ですね……」
「仕方無いわね……。あのまま、ストライクと離れる訳には、いかなかったし……」
「……ええ」
マリューは、ナタルの説明に大気圏突入時の事を思い出しながらも、眉間に皺を寄せ困った様な表情を見せると、ナタルも同様に仕方ないとばかりに頷いた。
何と言っても降下した場所が敵の支配下のど真ん中で、余りにも悪すぎた。救いはこの暑さとNジャマーの影響で、すぐには発見され難い事くらいだった。
かと言って、このまま何もせず留まって居れば、何れは見つかってしまうだろうし、もしかしたら既に見つかってしまっているのかもしれない。
何であれ、攻撃を受けて無いだけ幸いであり、今を嘆いている場合では無いのはマリューも理解しており、彼女は艦長らしくはっきりとした口調でナタルとアムロに告げた。
「兎も角、本艦の目的、目的地に変更はありません」
「分かった。それよりも疲れているんだろう、大丈夫か?」
アムロは頷くと、疲労の色が濃いマリューを気遣う言葉を掛けた。
何と言っても、このアークエンジェルの中で、一番、神経を使っているのはマリューなのは誰から見ても明白だった。余談ではあるが、医務室の胃薬の量が減っているのはマリューが服用しているからとの噂があったりする。
だが、そのマリューはアムロの気遣いに気丈な振りをしながら頷く。
「ええ」
「そうは見えないがな」
「……大丈夫ですよ」
アムロは肩を竦めて答えると、マリューは苦笑いを浮かべた。
実際、睡眠を取ったナタルとマリューの顔色と比べるとはっきり分かるくらい血色が良くない。
ナタルも気を遣って、声を掛けた。
「艦長、お休みください。まだ寝ていらっしゃらないのでしょう?」
「……でも」
「今、無理をして、ラミアス艦長に倒れられては困るからな。少しでも寝ておいてくれると有り難いんだがな」
マリューが艦長と言う責任感からか渋い表情を見せるが、アムロが責務に追われるマリューを宥めるかの様に言った。
そう言われたマリューは諦めたのか、感謝を込めた笑みを浮かべる。
「……分かりました。お言葉に甘えさせていただきます。ナタル、お願いね」
「了解しました。後の事はお任せください」
「ありがとう。それじゃ、何かあったら起こして」
「はい」
ナタルは、艦長席を放れるマリューを敬礼で見送る。
マリューは軽く微笑むとナタルに敬礼で応え、顔をアムロに向けた。
「アムロ大尉、アークエンジェルの守りをよろしくお願いします」
「了解した。ゆっくり休んでくれ」
アムロは頷くと、労いの言葉を掛け、マリューを敬礼でブリッジから送り出す。
マリューは解放されたとばかりに軽く伸びをすると、ブリッジを後にした。
「他の者達は休ませたのか?」
マリューがブリッジを退室し扉が閉まると、アムロは艦長席に座ろうとしているナタルに言った。
今、ブリッジに居る者達は殆どが交代要員の上、最低人員しか稼動して居ない。
ナタルは席に腰を下ろすと、深刻そうな表情をアムロに向けた。
「ええ、今は半数以上の者を休ませていますが……。やはり、突然重力下に降りた事と環境の変化やストレスからでしょう、クルーの中には体調を崩す者も出て来ております。ブリッジ要員に関しましては、予定では昼過ぎには、皆、起きて来るはずです」
「そうか。ここまで少ない人数でやって来ているからな……全員、疲労もかなり溜っているだろう」
「本来ならば、あのままアラスカの大西洋連邦本部基地へ降りるはずでしたから致し方ありません。せめて補充要員が入っていれば、ここまで酷い状況にはなってなかったのでしょうけれど……」
ナタルはアムロの言葉に頷き、眉を顰めながら背中をシートに預けながら言った。
アムロは目の前に広がる砂漠に目を向けると、その陽射しに目を細める。
「ああ、全くだ。……皮肉な話しだが、俺は昔を思い出す」
「前にお聞きしたときに言われていた……ホワイトベースと言う艦の事ですか?」
「ああ。あの時もサイドセブンで乗り込んで、そのままジャブローまで向かわせられたからな。それに砂漠では脱走した思い出もある」
「……大尉が脱走……ですか!?」
若き日のアムロが採った行動を聞いたナタルは、信じられないと言わんばかりの驚きを見せると、アムロはそこまで驚かれるとは思わなかったのか、苦笑いを浮かべて言った。
「ああ、そんなに意外か?」
「ええ……。アムロ大尉の様な方が脱走をするなんて想像も出来ません」
「あの頃は、僕も若かったからな」
「……アムロ大尉は今でもお若いです。そんな事を仰らないでください」
「……若いか。……そう言って貰えると助かる」
長年戦いの中で身を置きながら若者達を見る度に、アムロは年齢を重ねて来たかを実感していた。ましてや、今はムウと共にキラやトール達を指導する立場に有るのだ。
アムロは再び砂漠に目を向けると、続ける様に口を開いた。
「……しかし、ストライクは修理中、スカイグラスパーも飛べない今、襲われたら堪った物ではないな」
「ええ。今、攻撃を受ければ、間違いなく防戦一方になるでしょう」
「そうならない為にもやれる事はやっておくべきだな。俺は何時でも出れる様に待機しておく。何かあったら連絡をしてくれ」
ナタルは現実を思い出した様に苦々しい表情を浮かべながら言った。
事実、修理を行っているストライクで戦力として扱うには厳しく、スカイグラスパーだけでは戦力としては頼りなさ過ぎる。νガンダムでさえ、まともに使える飛び道具はアグニとエネルギーの残りが少ないビームマシンガンだけなのだ。
しかし、かと言って、何もしない訳にもいかない。
アムロは向き直って言うと、背を向け扉に向かって歩き始めた。
「了解しました。アムロ大尉、よろしくお願いします」
ナタルはアムロの背中を目で追いながら頷き、頼りにするかの様に言った。
アムロは歩きながら軽く片手を上げてナタルに応えると、ブリッジを後にした。
アークエンジェルの格納庫では、徹夜でストライクの修理が行われていた。しかし、ストライクの左肘から先は未だに無く、修復には予想以上の時間が掛かる予定だった。
整備兵達も懸命に頑張ってはいるのだが、始めから二、三日で修理が出来る様な物では無いのも分かって居るだけに、各員の疲労の色も濃くなっていた。
その為、一時はマードックが部下達に怒鳴り声を上げては居たが、状況を良く理解しているだけにジレンマを感じながらも、仕方なく小休憩を入れている所だった。
そこへ、起き抜けにトールの体力作りを終わらせたムウがやって来て、話し込んでいた。そのムウは、マードックに戯けた表情で、新しい愛機であるスカイグラスパーの事でマードックに口を開いた。
「マニュアルは昨夜見たけど、なかなかたのしそうな機体だねぇ。しかしまぁ、ストライカーパックも付けられますってのは、俺は宅配便か?」
「はっはっはっは!大尉なら、じゃねぇや、少佐ならどんなとこにもお届けできますってね」
「まぁ、その宅配便はもう一機あるから便利なんだろうけどさ、乗るのは新米だからな」
冗談を言うマードックに応える様に、ムウは笑いながら肩を竦ませた。
マードックはムウの言葉に苦笑いを浮かべた。
「でも、やる気はあるんでしょ?エンディミオンの鷹が育てるんだ。すぐに一人前になりますよ」
「本当にそうなら有り難いんだけどな」
「まぁ、それはそうと、ボウズの熱は?」
首の後ろを摩りながら愚痴る様に言うムウに、マードックはキラの事を聞いて来た。
ムウは「ああ」と頷くと、通路でラクスと逢った事を思い出して口を開いた。
「さっき、ピンクのお姫様に聞いたけど熱は下がったってさ。ストライクが凄いんだか……あいつの体が凄いんだかな……」
「はははっ!そんじゃ、こっちもピッチ上げますかね。あれを直さねえと、どうしようもないですからね」
「そりゃ、そうだわな。ストライクの事で忙しいとこ悪いが、スカイグラスパーを飛べる様にしといてくれ。流石のアムロでも、一人でデカ物を守るのはキツイからな」
「……分かりました。何人か回しますよ」
アークエンジェルの事をデカ物と例えたムウが修理中のストライクを見上げながら言うと、マードックは少し歯切れの悪い応え方だが頷いた。
ストライクの修理で手一杯の所に、ムウの願い通りにスカイグラスパーを飛ばせる状態にすると成ると、整備で人員を割かなければならない。しかし、ここでやらなければ死の危険性が高くなるだけなのだから、やる以外に選択肢は無かった。
そこへ、スカイグラスパー二号機のパイロットであるトールが、黄色いパイロットスーツに身を包んでやって来た。
「フラガ少佐、お待たせしました!」
「お、少しはそれっぽくは見えるが、やっぱ、着られてるって感じだな。まぁ、じきに似合う様にはなるだろ」
「まぁ、新米ですからね。それじゃ、俺は戻ります。新米、がんばれよ!」
「ありがとうございます!」
ムウがトールの姿を冷やかすと、マードックはにやけながら頷いて、アークエンジェルの守り手の一人となるトールに激励の言葉を掛け、ストライクの修理へと戻って行った。
トールは生真面目にマードックの後姿に頭を下げると、ムウに背筋を伸ばして向き直った。
「さて、始めるぞ」
「はい、お願いします!……それで、今日は乗るんですか?」
「おいおい、俺の格好見りゃ分かるだろ。馬鹿な事言うなってぇの。スカイグラスパーは、まだ飛べる状態じゃないんだ。それに誰が乗せるなんて言ったよ?」
トールの言葉にムウは呆れた様に応えた。
パイロットスーツ姿のトールと違い、ムウは制服を着ていて、どう見ても今からモビルアーマーに乗る格好では無く、トールは頭を掻くとバツが悪そうに苦笑いを浮かべながら言った。
「……パイロットスーツ着ろって言われて、てっきり……」
「お前、シミュレーターもやって無い奴に乗せられる訳無いだろ?それに操縦する時はパイロットスーツ着てるのが殆どだからな。それを着せたのは、早く感覚に慣らす為だ。分かったか?」
「はい」
呆れた表情で言うムウにトールは頷いた。
これからトールは命の遣り取りをする事になるのだから、生半可な事をすれば、戦場では全てが死に繋がる。教えるムウにしても、教えられるトールにしても手を抜く事は許されないのだ。
ムウは顔を引き締め、自分の教え子となったトールを見詰めながら口を開いた。
「時間が有れば、じっくりやる所だが、そんな余裕は無いからな。まずはシミュレーターを使って、基本操縦技術を教える。いいな?」
「はい。よろしくお願いします」
トールは背筋を伸ばして返事をすると、格納庫の片隅に設置されたスカイグラスパーのシミュレーターの元へムウの後を追う様に歩いて行った。
モビルアーマーなど無縁だったトールにとって、本当のパイロットに成る為の訓練が開始される。
地球衛星軌道上での戦いを終えた地球連合宇宙軍第八艦隊の眼前には月が大きく輝いていた。
第八艦隊はプトレマイオス基地出撃時に比べれば艦の数こそ少なくなってはいるが、過去、不利な戦いを強いてきた中では沈められた数と比べれば損害は少ないと言えた。
それも、プトレマイオス基地が強襲された事や、アークエンジェルのモビルスーツ隊の活躍が原因で彼らを奮い立たせた結果だったのかもしれない。
兎にも角にも、第八艦隊を指揮するデュエイン・ハルバートンと、その副官であるホフマンは、帰るべきプトレマイオス基地ドックを破壊された事で、艦隊をどこに帰港させるかを決めていた。
「……ホフマン、プトレマイオス基地のドックが使えない以上、艦隊を月の各基地へと振り分けて帰港させる事としよう」
「承知しております。一応でありますが、既に各艦の振り分けも考えておきました。これでいかかでしょうか?」
ホフマンはハルバートンの決定に頷くと、四つ折りにしたメモをポケットから取り出してハルバートンへと手渡した。
ハルバートンはメモを受け取り、目を通すと満足そうな表情を見せ、口を開いた。
「ホフマン、ご苦労。……うむ、これで良いだろう」
「了解しました」
ホフマンは頷くとオペレーターを呼び、各艦の艦長に伝えるように命令を伝えた。
ハルバートンはその間、少し疲れ気味の表情で月を見詰めて呟く。
「……それにしても、地球に降りたアークエンジェルが無事であれば良いがな」
「敵勢力下に降下しましたからな……。アラスカには、アークエンジェルの救援要請をしておきましたので、すぐに動いてくれるでしょう」
「……だと良いのだがな」
ホフマンの言葉にハルバートンは愚痴る様に呟いた。
地球連合は決して一枚岩では無い。多数の地域の連合体が共に協力しあっているだけにしか過ぎない。
ましてや、自分達が属する大西洋連邦でさえ、様々な派閥で構成されているのだから、宇宙軍のハルバートンを良く思わない地上軍の将官は多かった。
それだけにアラスカで腰を落ち着けて居る者達が、敵地に降りてしまったアークエンジェルを見捨てる可能性も有るとハルバートンは思っていた。
ホフマンは疲れた様なハルバートンの呟きを耳にすると、眉を顰める。
「……と、言いますと?」
「いや、何でもない。それよりもプトレマイオスからの報告は?」
「変わらず、復旧と戦死者の遺体処理を行っている様です」
「……そうか」
ハルバートンはプトレマイオス基地の現状報告を聞き、更に疲れが増した様な顔を見せた。
アラスカからの要請とは言え、自らの留守中に襲われたのだから、囮と分かっていれば出撃する事は無かっただろう。しかし、既に起きてしまった事で、今更、何を言っても仕方がない事だった。
ホフマンは月に目を向け、背凭れに体重を預けて口を開いた。
「……しかし、プトレマイオスがあの様な事になるとは、想像も出来ませんでしたな……」
「……うむ。だが、被害が基地中枢まで及ばなかったのは救いではあるがな……。そこでだが、ホフマン、メネラオスはプトレマイオスへ向かわせようと思う」
「しかし閣下、帰港出来ないのであれば行った所で意味は……」
「ホフマン、艦くらいワイヤーで固定すればよい。メネラオスくらいならどうにでもなろう。私はプトレマイオスが気になる。済まんが付き合ってくれ」
「……分かりました。不測の事態に備えまして、損害の少ない艦を護衛として同行させましょう」
「うむ。宜しく頼む」
さっきまで疲れた様子を見せていたハルバートンの表情は、強い物へと変わっていた。
それを見たホフマンは、自らの上官の疲れた顔を見るのが嫌なのだろう。今度は満足そうな表情で命令を受けると、ハルバートンは頷いて月を見詰めた。
その後、第八艦隊各艦は、振り分けられた各基地へ帰港して行った。
ザフト軍本部を後にしたアスランは、パトリックの言いつけを守らず軍病院に来ていた。
本来なら言いつけ通り、自分の部屋に戻り大人しくしているべきなのだろうが、どうしてもここに来なければならない理由があった。それは至極簡潔な理由で、自分の命令違反が原因で負傷したニコルを見舞う為だった。
しかし、そのアスランはニコルの病室の前まで来て、扉を開く事が出来ずにいた。
「……くっ……」
病室の前で立ちつくすアスランは扉を開こうとしたが、口から自然と苦しむ様な声が漏れた。
扉の向こう側に居るニコルにどんな顔をして会わせれば良いのか分からず、それ以上、手を動かす事が出来なかった。
そんなアスランに、突然、誰かから声が掛けられた。
「……アスラン?」
「――!……フ、フレイ……」
アスランは体を一瞬、震わせると、ゆっくりと振り向いて、自分の名を呼んだフレイを強張った表情で見詰めた。
しかし、フレイはアスランの心の中など知る由も無く、アスランが無事に帰って来た事を喜んで、その手を取って笑顔を見える。
「アスラン、無事だったのね!ニコルが喜ぶわ。病室、入りましょう」
「……お、俺は……ゴメン……」
「――ア、アスラン!?……ま、待って!」
アスランは、まともにフレイの顔を見る事が出来ず、声を上擦らせながら後ずさる。そして、手を振り払うと、逃げる様に走り出した。
突然の事に驚いたフレイは呆気に取られたが、思い出した様にアスランの後を追い始めた。
建物の中をどれくらい走っただろうか、アスランは病院の屋上へと来ていた。
「――ハァハァ……くぅ……お、俺は……うっぅぅ……」
アスランはフラフラと手摺りの所までやって来た。そして、手摺りに凭れ掛かると、両手で顔を覆う。その手の下からは、自然と涙が溢れて来ていた。
ニコルの病室を目の前にして、尻込みしてしまう自分が情けなかった。顔を合わして謝るつもりだった。しかし、病室の前まで来て、その気持ちは恐怖へと変わった。自分の命令違反で何人も死人を出しているのだ。決して、謝って済む事では無い。
そうしていると、息を切らしたフレイの声とゆっくりと歩いて来る足音がアスランの耳に届いた。
「――ハァハァ……ハァ……ア、アスラン……ハァ……な、泣いてる……の……?」
「うっうぅぅ……お、れは、……うっぅ……ニ……コルに……会わせる……顔が……無い……うっう……お……れは……どんな……顔をして……会えば……いい……んだ……」
アスランは顔を上げる事が出来なかった。零れる涙が、コンクリートの床を濡らして行く。
フレイは涙を流すアスランを見て、戸惑いながらも優しく声を掛ける。
「……アスラン……どうしてニコルと会えない……の?ねぇ、何があったの?」
「……ニコルは……うっ……俺を……止め、ようと……して、その所為で……そ、れで、キラが、ニコルを……うっぅ……傷つけて……」
「……キラが……ニコルを!?」
アスランは途切れ途切れだが、涙を流しながらも話し始める。その姿は、まるで子供が許しを請うかの様だった。
フレイはアスランの言葉に驚き、絶句する。
「ううっぅ……俺の……所為で……うっぅ……ニコルだけ……じゃなく……て、み……んなも……うっうっぅぅ……」
「……アスラン……キラを説得しようとしたんだよね!?」
「うっぅ……う……あぁ……でも……キラは……」
フレイの問いに首を振りながら涙を流すアスランは呻くように顔を人工の空へと向けた。
信じた友達に裏切られ、そして、その裏切った友達は、自分を信じてくれた仲間を傷つけたのだ。アスランの事だから、キラを懸命に説得したのだろうとフレイは思った。
知り合って短いが、アスランの優しさをフレイなりに知っている。婚約者を失い、友達に裏切られたアスランが余りにも可哀想に思え、放っておく事が出来なくなった。そして、アスランを裏切ったキラを憎らしく思った。
フレイはゆっくりと歩み寄ると、涙を流すアスランを抱きしめた。
「……アスランの所為じゃ無い……全部、キラがいけないのよ。……ね、だから……泣かないで……」
「……うっう……フ、レイ……」
「……私はアスランの味方だから……。ね、お願い、泣かないで……」
アスランは、今、唯一自分を許してくれる年下の少女の胸の中で涙を流す。彼に取って、少女は自分が失った母の様に優しい存在に思えた。
二人の心の内など知らぬ人工の空は、どこまでも青く晴れ渡っていた。
もう帰る事の無い娘の部屋を閉めたシーゲル・クラインは、リビングのソファへと腰を下ろした。そのリビングへは光が降りそそぐ。
娘のラクスが生きてここに居れば、ハロ達と共に戯れる姿が見られただろうと思った。しかし、そのラクスの捜索は既に打ち切られ、死は決定的と成り、受け入れる他無かった。
時間が許すのならば、自ら捜索に向かいたい所だが、そんな事は自らの立場からが許される事は無い。もしも、自分が今の立場に居なければ、ラクスは死ぬ事は無かったのかもしれないと父は思った。
そんな想いからか、目が自然と娘の写真へと向けられたが、その思考を中断させる様に電話が鳴り響いた。
シーゲルは腰を上げると、TV電話のスイッチを入れた。画面には、良く知る同じ評議会、そして同じ派閥である女性の顔が映し出された。
「クライン議長、アイリーン・カナーバです。お休みの所、申し訳ありません」
「いや、構わんよ。一人で居ると、色々と思い出してな……」
「……あの、後からお掛け直ししましょうか?」
「いや、いい。話を続けてくれ」
アイリーンはシーゲルの心中を察してか、申し訳無さそうに申し出たが、シーゲルは首を横に振った。
シーゲルに取って、プラント最高評議会議長と言う立場がある以上、いつまでも父ばかりしている訳には行かないのだ。
シーゲルの言葉を受けたアイリーンは、気を遣いながらも早速、仕事の話しに取り掛かった。
「……はい。議長、攻撃に出ていた艦隊が帰還した様です」
「そうか。……しかし、このままではいずれ……パトリックの行動はプラントを死へと追い遣る事になる。……君はどう思う?」
「……今の段階では何とも申しかねます。しかし、確実に民衆の支持はザラへと向くでしょう」
「……であろうな。ラクスの死を上手く使いおって。……例え、私が議長の職を失うとしても、この現状をどこかで止めねばならん」
「……ええ。ですが……」
シーゲルは、娘の死を使い、民衆を焚きつけるパトリックのやり方に一抹の怒りを感じながらも、今のままでは確実に議長の座を追われ、民衆達はパトリックの誘導の元に後戻りの出来ない道を歩まなければ成らなくなると考えていた。
アイリーンは、そんなシーゲルの悲壮な表情を見て言葉を躊躇った。
少しの間が空き沈黙が流れると、徐にシーゲルが口を開いた。
「……地球側にコンタクトは取れるかね?」
「……ええ、マルキオ師ならば。……しかし、地球側がこの様な情勢で応じてくれるかどうか」
「地球側とて、立て直す時間は欲しがるだろう。この機を逃せば、我々……いや、人類は血で血を洗う戦いに明け暮れる事になる」
「とは言え、ザラが知れば、議長の行動を黙って容認するとは思いません。それに……申し訳にくいですが、ザラの支持層が増えている中で、議長自らその様な行動に出られると……水を差す形に成り、世論から非難の声が出て来るかと思いますが」
民衆は民意を汲み取ってくれる者を指示するのは当たり前の事で、パトリックは地球軍への報復と言う形で民衆の望みを現実の物としたのだ。
シルバーウインド事件公表の折に、パトリックが報復を仄めかすなり、ラクスの父として涙を見せ泣き崩れでもしていれば、また現状は違っていたかもしれない。
アイリーンの言葉に、シーゲルは自分が如何に不利な状況にあるかを改めて思い知らされる。
「むぅ……。だが、誰かがやらなければ、プラントは破滅の道を歩む事になる。……出来れば、民衆に気付かせる為にも、公式の物として行いたい。私が直接出向く事で誠意を見せなければ、地球側は腰を上げてはくれんだろうからな。明日の議会で提案してみるつもりだ」
「情勢が情勢ですから……反対の者も出て来るかと思います。それに地球側が応じた所で、どの様な要求を出してきますか……」
「いつまでも続く戦いを誰も望んではおらんよ。それは地球側も同じはずだ。議会で過半数が採れれば望みは繋がる。例え、束の間の平和しか得られなくとも、私が行う事の真意を民衆は気付いてくれるはずだ。今は、何より間違った道を進む事を止めねばならんのだよ」
静かに言うシーゲルの言葉には力が篭っていた。まるでそれが、亡くなった自分の娘の為でもあるかの様だった。
アイリーンはシーゲルの気迫に圧されたのか様に頷いた。
「……分かりました。ザラに同調する兆しを見せる議員以外には根回しをしておきます」
「……済まない」
シーゲルはアイリーンに礼を言うと、少々の遣り取りをしてTV電話のスイッチを切った。
そして、再びソファに体を沈み込ませると背中を丸め、両手を顔の前で組むと、ラクスの写真に目を向けた。
「今は一時的な停戦でも構わん……。パトリックの勢いが潰えれば、民衆もラクスの想いに気付こう……」
シーゲルの寂しげな声が、リビングに小さく響くのだった。
軍病院内の廊下には、戦闘で傷付き、体を治す為に遣って来ている者や入院して居る者達が数多く行きかっていた。
ある検査室の扉が開き、検査を終えたばかりのイザークが姿を見せた。
「……ふぅ。俺の言った通り、検査など必要無かったじゃないか。しかし、これで母上も安心するだろう」
イザークは背後の扉が閉まると、検査に疲れたのか、愚痴を零すと歩き出した。
窓の外は穏やかに晴れ、光が廊下に差し込んで来る。中庭には緑が溢れ、その光景を目にしたイザークは未だに戦時下である事を暫し忘れた。
そして、人工の空へと目を向けた時、知っている人物を反対側の建物の屋上に捉えた。
「……ん?……あれは……アスラン!?……何故、あんな所に?まぁ、いい。あの噂……確かめてみるか」
イザークは軍港で聞いた一部の噂を思い出し、アスランの居る建物の屋上へと向かって歩き出した。
その途中、様々な者達を目にした。戦闘で傷付いた者を見舞う家族や恋人、そして、傷付いた兵士達を助けるべく治療に当たる者達の姿を目にした。
改めて自分達が守っているプラントには多くの人達が居るのだと実感し、その守り手として働く自分の仕事を誇りに思いながら、イザークは屋上へと続く階段を上がって行った。
階段を上がり切り、扉を開くと、そこには良く晴れた青空が広がっていた。
イザークは歩みを進めて見回すと、そこには抱き締め合っているカップルしか居なかった。が、良く見れば、女の方はニコルの病室で見たナチュラルの女に似ている上、男の方は忘れもしない知っている顔だった。
「……ア……スラン!?」
「「……えっ!?」」
絶句する声を聞いたアスランとフレイが、イザークの方へと顔を向けた。
イザークは信じられない光景に固まって居たが、顔を鬼の様に赤くすると怒りを顕にアスランの方へと歩き始めた。
「――貴様、何をしている!」
「――えっ、な、なに!?」
イザークの怒鳴り声に、フレイは脅えた様にアスランに寄り添う。
それを見て、更にイザークの怒りは激しい物へとなって行く。
「アスラン、貴様と言う奴は!」
「――えっ!?イザークな――うっ!」
イザークは左手でアスランの胸倉を掴むと睨み付けると、空いた右手の拳で顔を思い切り殴ると、掴んでいる左手で突き飛ばした。
突然の事で、防御も取る事が出来なかったアスランは、拳をまともに喰らい体をふらつかせ、倒れる。
「――アスラン!何をするのよ、止めて!……アスラン、大丈夫?」
フレイが声を上げ、理由も無く突然、アスランを殴ったイザークを睨み付けると、すぐにアスランの元へと駆け寄った。
アスランは体を起こしながら口の端から流れる血を拭って、理由も無く殴って来たイザークを睨み付けた。
「……ああ、大丈夫だ。……っつ……イザーク、突然、何をするんだ!?」
「――ふざけるな!ラクス・クラインと言う婚約者が居ながら、彼女が死んだと分かれば他の女か!俺は貴様を見損なったぞ!」
イザークは、まるでアスランの事を親の敵の様な目で睨みつけながら怒鳴りつけた。
ラクスのファンでもあるイザークは、その婚約者であるアスランの行動は、敬愛する彼女への裏切り行為としか見る事が出来なかった。それ故にイザークの怒りは修まる事は無い。
アスランはイザークの言葉を耳にし、ラクスの婚約者としての立場を思い出した。確かに知らない人間がこの状況を見れば、誰もが誤解をしても可笑しくは無い。
「そ、それは違う!俺は――」
「――それなら、何故、抱き合っていた!?言って見ろ!」
「……それは……」
どう言い訳して良いのか分からないアスランは、口ごもる他無かった。
イザークは怒りを隠そうとはせず、アスランを見下す様な態度で口を開いた。
「――フン!その様子だと、泣いて慰めて貰ってたか?情けない!貴様、それでもザフトの軍人か!?貴様がそんなだから、あんな噂が立つんだ!」
「……噂?」
「……知らんのか?なら、教えてやる。貴様が命令違反を犯し、味方に損害が出たと言う噂だ」
「……それは……」
「……まさか、本当なのか?」
「……ああ……それで、俺は……ニコルを巻き込んでしまって……」
「――貴様と言う奴は!」
アスランは問いに辛そうな表情で頷くと事実を口にした。
イザークは、アスランの採った命令無視と言う行動の結果、仲間であるニコルを巻き込み負傷させた事で、更に怒りを爆発させると再びアスランを殴りつけた。
「――うっ!……っ……イザーク……」
「――やめてよ!アスランは――」
「――フン、知るか!こんな奴が同じ仲間だと思うと反吐が出る。ナチュラルの女ごときに慰められて、良い様だな、アスラン」
フレイは倒れ込んだアスランを介抱すると、アスランがどうして命令無視をしたのか理由を言おうとしたが、イザークがフレイが言いかけた所で一蹴した。
ナチュラルの少女に庇われるアスランの無様な姿をイザークは嘲笑う様に吐き捨てた。
イザークの言葉を聞き、頭に来たアスランは立ち上がって、怒りを顕わにする。
「……イザーク、俺なら何を言われても構わないが、フレイは関係無いだろ!」
「貴様の様に軟弱な奴が何を何をほざく!相手になってやる、掛かって来い!」
「――アスラン、止めて!」
「……フレイ」
イザークの挑発に乗り、アスランが格闘戦の構えを取るが、そこにフレイが慌てて止めに入ると、アスランは渋々ながら構えを解いた。
それを見たイザークが鼻で笑うと、アスランに向かって馬鹿にする様な態度で吐き捨てる。
「――フッ!アスラン、貴様は本当の腑抜けに成り下がった様だな。そのナチュラルの女を抱いて、骨抜きにでもされたか?」
「――イザーク!」
「貴様の攻撃など通用するかよ!」
「うぐっ……!……さっきの、さっきの言葉を取り消せ!」
アスランは頭に血が上り殴り掛かるが、イザークはアスランの拳を叩き落とすと、膝をアスランの腹へと叩き込んだ。
体をくの字にさせて、腹の奥からせり上がって来る吐き気をアスランは押さえ込むと、イザークの脇腹を狙って拳をねじり上げる。
「うっ!……腑抜けが……ほざくな!」
「つっ……!フ……レイを馬鹿にするな!」
イザークは脇腹へのパンチに顔を顰めるが、すぐにアスランの体を押して間合いを取ると、右脚で中段への回し蹴りを出した。
アスランは両腕を重ね合わせて防御に入ると、イザークの蹴りはアスランの両腕に当たり、筋肉同士がぶつかり合う音が屋上に響く。
蹴りを防がれたイザークは蹴りを出した右脚を引き戻そうとせず、そのまま振り抜いた。蹴りを振り抜いたイザークはアスランに対して、一瞬、背を見る事になる。
アスランはその隙は見逃さず、懐に飛び込む為にコンクリートの床を蹴った。
「甘い!」
「――ちっ!喰らえ!」
「――ちぃ!」
イザークは舌打ちをすると、振り抜いた右脚へと体重を移動させて軸足を変える。そして、飛び込んで来るアスランへの迎撃の為に左脚を跳ね上げて後蹴りを出した。
アスランは後蹴りが跳んで来るとは思わず、不用意に懐に飛び込んだ事を後悔する。体が浮いてしまっている以上、ベクトルは殺す事は出来ない。
しかし、まともに喰らう訳にも行かず、体を浮かせながらも片膝と両肘を合わせる様にして体に引きつけて、後蹴りに対して防御に入る。
イザークの後蹴りは、飛び込んだ状態のまま防御に入ったアスランへとぶつかる。
アスランは弾き飛ばされ、背中からコンクリートの床に落ちて行く。
が、コーディネイターの運動能力の成せる技なのか、両脚を振り上げて無理矢理宙返りの態勢に持ち込み、落ちる直前に片手で床を叩いて落下のダメージを打ち消し、片手と両膝を折り曲げた状態で床に着地した。
「――ア、アスラン!」
「――くたばれー!」
格闘の素人であるフレイには、アスランが派手に蹴り飛ばされた様に見え、慌てて駆け寄る。
そのフレイが動くのと同時にイザークが床を蹴り、アスランへと向かって行っていた。
「――危ない!」
「――ちっ!?女、避けろー!」
アスランは自分とイザークとの間に体を割り込ませたフレイに向かって咄嗟に叫んだ。
それはイザークも同じで、突然フレイが飛び出て来た為に勢いを殺す事が出来ず、避けるように怒鳴った。
「――えっ!?」
二人からの声にフレイは驚いて、イザークの方へと瞬間的に顔を向けた。
そこにはイザークの拳が近づいて来ているのが見え、フレイは動く事も出来ずに声に成らない悲鳴を上げ、恐怖から目を瞑った。
アスランの脳裏にラクスやニコルの顔が過ぎる。
「――俺は――守って見せる!」
アスランの中で何かが弾けた――。
体が勝手に反応して両脚が信じられない様な瞬発力で床を蹴り、フレイの体を右手で抱きかかえるとアスランの目はイザークの拳へと向けた。
今のアスランには、迫るイザークの拳がコマ送りの映像の様に見えた。しかし、頭が拳を避ける事が不可能だと判断すると、左手を咄嗟に出してイザークの拳をフレイに当たる寸前の所で受け止めた。
イザークは自分の拳を受け止めたアスランの動きに驚き、目線をアスランへと向けた。
「……イザーク、止めろ!」
「――!……ああ」
アスランの顔には感情が感じられず、信じられない程の冷たい目がイザークを睨み付けていた。
イザークは背中に寒気が走り、一瞬、息を飲んだ。そして、絞り出すように声だしながらアスランに対して頷いた。
アスランはイザークの拳を離すと、腕の中のフレイに優しく声を掛ける。
「……フレイ、大丈夫か?」
「……えっ?……う、うん……うっ……うっぅ……」
「……もう終わったから、泣かないでくれ」
腕の中で体を竦ませていたフレイは恐る恐る目を見開くと、先程の恐怖を思い出し涙を零した。
アスランは腕の力を緩めると、フレイの背中をあやすかの様に優しく叩く。
それを見ていたイザークは、アスランの表情が先程とは全く違う事に気付き、あれは何だったのかと呆気に取られたが、アスランの腕の中で泣くフレイを見て、一瞬、バツが悪そうな表情をするが、すぐに語気を荒げながら口を開いた。
「……おい、女!男同士の戦いに邪魔に入るな!……こんな後味の悪いのは初めてだ!」
「イザーク!」
「うるさい!おい、女。俺は貴様を殴るつもりは無かった。それだけだ!」
イザークはアスランに怒鳴ると、泣くフレイに言い訳がましく言うと顔を背けた。
アスランは謝りもしないイザークを睨み付ける。
「……フレイを侮辱した事を取り消せ!」
「――フン!俺は謝らんぞ。元はと言えば、アスラン、貴様が原因なんだぞ!女に守られん位には、しっかりしろ!俺が認めん限りは頭を下げるつもりは無い!」
「……分かった。フレイ、俺の為に嫌な思いをさせて済まない……」
「……うっぅ……」
イザークの言葉に、アスランは口ごもるが、自分が事の原因なのは事実でもある為、頷くとフレイに謝罪をした。
すると、フレイは俯いたまま涙を流しながらも首を振って応えた。
二人の遣り取りを目の端で捉えていたイザークは、怒りを隠す事無く吐き捨てる。
「……胸糞悪い!だが、ニコルとの約束もあるからな。アスラン、貴様が立ち直るまで、戦場では俺が貴様を守ってやる」
「……ニコルと……そんな約束を……?」
「あんな傷を負いながらもニコルは貴様を心配していたぞ。礼は言っておけ!俺は帰る。次の作戦までに少しはマシになっていろ、いいな!」
「……分かった。心配を掛けて済まない」
「――フン!貴様の事など知るか!」
アスランはイザークの言葉に静かに頷いて、面倒を掛けてしまった事を謝るが、当のイザークは顔を背けると、一言文句を言って屋上から姿を消した。
二人きりになった屋上には、フレイのすすり泣く声が小さく響く。
「……うっぅ……うっ……アスラ……ン……」
「……フレイ……俺の為に本当に済まない。……それから、ありがとう」
アスランは抱えていた腕を離してフレイを開放すると、いざこざに巻き込んでしまった事への謝罪と、自分庇ってくれた事の礼を言った。
少しの沈黙と共にアスランは、一度、空へと顔を向けて息を吐くと、少し言い難そうな表情をフレイに向けながら手を差し伸べる。
「……フレイ、俺は……ニコルに謝りに行きたいんだが、……一緒に……付いてきて来て貰えないか……?」
「……うっ……ぅん……」
フレイは涙を手で拭うと小さく頷いてアスランの手を取った。
人口の青空の下で、アスランはフレイと手を繋いだまま、彼女の涙が完全に止まるのを待って、二人で屋上を後にしたのだった。
月明かりが砂の丘陵をどこまでも美しく描き出していた。それだけ見ていると無限に続いている様にも思える。
その中、砂の丘に停まっている一台の車――軍事用の指揮車両と、砂地用の迷彩服を着た二人の男が居た。一人は赤外線スコープを覗き、もう一人は、その手にカップを持ちコーヒーを飲んでいた。
カップを持った男、アンドリュー・バルドフェルドが、スコープを覗く男に声を掛ける。
「どうかなぁ?噂の大天使の様子は?」
「――は!依然なんの動きもありません」
スコープを覗いていたマーチン・ダコスタは、上官であるバルトフェルドに顔を上げて答えた。
「地上はNジャマーの影響で、電波状況が滅茶苦茶だからなぁ。彼女は未だスヤスヤとおやすみか……。――んっ!?」
「――うっ!何か?」
アンドリューはダコスタが見ていた先を眺めながら、手に持ったカップを口へと運ぶと、突然、表情を変えた。
驚いたダコスタが慌てた様にバルトフェルドに顔を向けた。
「……いや、今回はモカマタリを五パーセント減らしてみたんだがね……こりゃぁ良いな!」
「ぁ……」
ダコスタが緊張の面持ちで見詰める中、バルトフェルドの口から出て来た言葉は、カップの中に有る黒い液体――コーヒーの感想だった。
コーヒーの味一つで、嬉しそうな表情を浮かべるバルトフェルドに、コーヒーが好きでは無いダコスタは呆れ返った。
そんな上官ではあるが、一度、戦闘が始まれば『砂漠の虎』と呼ばれ、ザフト地上部隊屈指の名将、そして名パイロットとして、その名を轟かせていた。
バルトフェルドは指揮車を降りると、コーヒーを飲みながら丘を下って行く。その途中、空になったカップを放り投げた。
「――あ!あぁっ……」
後を歩いていたダコスタは慌ててカップをキャッチする。
バルトフェルドが足を止めると、そこには月明かりに照らされた虎とも狼とも採れる巨大なモビルアーマーとヘリコプターやバギー、そして今や遅しと出撃を待つ部下達の姿があった。
自分達の隊長の姿を見た彼らは、素早く整列するとバルトフェルドが口を開く。
「ではこれより、地球軍新造艦、アークエンジェルに対する作戦を開始する。目的は、敵艦、及び搭載モビルスーツの、戦力評価である」
「倒してはいけないのでありますか?」
兵士の一人がバルトフェルドに言うと、隊の全員が笑い声を上げた。
「んー、その時はその時だが……あれはクルーゼ隊とFAITHのユウキが仕留めらなかった艦だぞ?それを忘れるな。……一応な」
バルトフェルドは少し考えると、そう言ってニヤリと笑みを湛えた。
兵士達の顔にも自信に満ち溢れた笑みを浮かぶ。
「では、諸君の無事と、健闘を祈る!」
満足そうな表情でバルトフェルドが言うと、まるで、それが合図であるかの様に全員が揃って敬礼をした。
彼らの隊長も敬礼で応えると、ダコスタが号令を掛ける。
「――総員、搭乗!」
兵士達は散ると、各々、自分の機体に乗り込んで行く。
ダコスタが指揮車を運んで来ると、バルトフェルドは素早く乗り込んだ。
「んー、コーヒーが旨いと気分がいい。さあ、戦争をしに行くぞ!」
呑気そうに言うバルトフェルドの目が途端に獲物を狩る者の目へと変化した。
彼らの獲物――大天使と言う名を持つ、白い船を狩る為に動き出した。